Welcome to Shinji Shiotsugu On Line
■2004/03/04 (木) 平成徒然草 徒然なるままに、日ぐらしギターにむかいて心にうつりゆく由なしフレーズを、そこはかとなく弾きつくれば、あやしうこそものぐるおしけれ。と云うことでこれから日記帳みたいにしたいと思います。毎日とは行きませんが出来るだけ書いて行くつもりです。よろしく。
■2004/03/04 (木) 20TH このところ大南シリーズが続いてるので、ここで紹介したい人物がいる。その名は福山庸治、聞いたことがあるはずだ、そう彼は漫画家である。そして同期の大南44年卒である。最近では雑誌「ダイアモンド」で彼の漫画を見ることができる。作品【F氏的日常】は第5回文化庁メデイア芸術祭の漫画部門で大賞を受賞している。高校の時、福山庸治はBASSを弾きVOCALを取っていた。なんて上手なんだと思った。そのころVENTURESなんかのインスト物が中心だった俺は彼のやるBEATLESやLONDON POPSを聞いて洒落てるなあと思った。BASSも歌もいい加減なものではなくちゃんとしたものだった。少なからず「ムムッ出来るなっ!」と思った。一度彼の家で音を出して遊んだ事がある。その時、多分「福山君はプロにならんと?」と聞いたかもしれない。彼は謙遜するが、俺なんかよりずっと才能があると感じた。しかも絵がめちゃうまいのだ、要するに天才なのだ。それから10数年後、とある書店で福山庸治著の本を見つけた時はやっぱり出てきたなと買って食い入るように読んだ。その時そうか、こっちの道を選んだのかと思った。彼のHOME PAGEでは私のことにもふれている。とにかく一度読んで欲しい。www.yojira.com/です。
■2004/03/05 (金) 誕生日 今日は誕生日である。幾つになったとかどうでも良いが祝って貰うのはやはり嬉しい。HAPPY BIRTHDAY TO YOU~なんてやられると、思わずホロリとなりそうだ。だからどっちかというと祝ってあげる方が得意かもしれない。ポローンとINtrOのGUITARをひいてGOSPEL風のCHORD 進行に乗せてHAPPY BIRTHDAY---と歌い出す。とても好きなFLAVORになる。LIVEでも「お客さんに誕生日の方はいますか?」とか云って抜き打ちでやるのが楽しい。私のBANDの欠かせないレパートリーになっている。毎年誕生日を迎えると心改まろうという気にはなるが、まだまだ老け込む気はない。どうせその日暮らしのGUITARIST LIFEだ。勢い(体というより気)だけは、無くさず、失速せず、TENSION UP、OVER TOP GEARで身の程知りながら・・・なにせおみくじ凶やったからのう・・・我が道を行きたいと思うちょっとです。終わり。
■2004/03/08 (月) 墓場でデイミニシュ 冬の合宿で、「墓場でディミニシュ」なる迷曲?が生まれた。詞とメロデイはGYMの生徒さんのFさんである。合宿二日目の夜のLIVEでこの曲をFさんは、イントロで座布団を手に持ちリズムに合わせてそれで顔を隠したり、出したりしてパフォーマンスが始まった。その時点で皆抱腹絶倒する。「俺も行くのかな?」歌が始まる、いつの間にかちゃんと歌詞まで考えてある。そもそもディミニッシュ・スケールというのがあり、その音階は大まかにいえばちょい不安感を与えるので、それでメロやコードを弾くとなんかゲゲゲの鬼太郎ワールドみたいになる。それこそ歌にしてしまうとこのディミニッシュ・スケールはより理解しやすく、身近に感じるだろうという狙いから冗談ぽく遊んでいたのが曲になりLIVEで披露となった。後半は「墓場、墓場」の大合唱となった。今回の合宿のおおきな成果となった事は言うまでもない。それにしてもFさんはたのしい人である。
■2004/04/13 (火) 70’S考 久しぶりに書いてみようか。何かこの1か月は慌ただしかったな。とくに「BLUES伊賀の乱」あたりから今日まで次から次と急速にページを捲ってるようだった。その間にタクタクでのWEST ROAD B.B、京大西部講堂での「ブルース・ファンタジー」、昨日のFAT'S BOTTLE B.BのLIVE等盛りだくさんの内容だった。タクタク30周年というように、我々も30年を経て音楽をやり続けているのである。原点は勿論70 年代にある。時々「日本BLUESの化石」とか云われるが、最近はそのDNAによって恐竜復活しそうな勢いではある。WESTの5人は健在であり、昨日のFAT'S BOTTLEもギャプを感じさせるようなものでは無かった。いい演奏だった、BLUESは50代からがいいのである。30年も経つと何でもないような話だったことも、貴重の思い出になりうる。ただ懐かしむほどのものでもないが、熱かった、面白すぎた京都70'Sを語る時期に来ているのだろう。10日にあった京大西部講堂(この言葉イクオール70Sだ)でのMOJO WESTの木村氏PRODUCEのCONCERTは良かった。西部講堂の自由な雰意気を味わえたし、新たな展開も期待出来そうな予感をあたえてくれた。30年サバイバルしても勝負はまだまだこれからだ!ああ疲れるな。
■2004/06/24 (木) 6月台風 このコーナー知らぬまに2か月も経っていた。何してんねん、はよ書けよといわれそうである。さてこの2か月は何気に忙しかった。特に今月は20日過ぎまで慌ただしくあれよあれよと時間が経っていた。印象的なライブがいくつか有ったが、その筆頭はやはり「橘」でのそれだ。蕎麦屋でライブをやる・・私の中の前代未聞な事である。女将さんがインターバルでしゃべっていたのだが、この随心院という名寺の隣の老舗、立派な店である「橘」で私がGUITARを弾くに至るには、かなり面白い経過があった。簡単にいうと女将さんは去年の夏から短パンに草履で通い始めた私をみてどうもリストラされたサラリーマンだと思っていたらしく、まさかBLUES GUITARISTなどとは夢にも思っていなかった。そりゃーそうだろう普段の私はだらだらでROUGHなかっこうしかしないし、なかなかMUSICIANには見えないだろう。なんだかボーッとしたオッさんになるかも知れない、STAGEとのGAPが大きいとは大抵意見は一致するだろう。そうこうしてるうちに私がGUITARISTとわかり、ライブに来て頂いて以来、贔屓にしてもらっている。実は女将さんも音楽ファンでBB.KINGやETTA JAMESが好きだと云われた時はこちらもビックリした。そんな経過をたどって6/11(この日はなんと彼女の誕生日だったらしい。)ライブは実現した。100人以上のお客さんで大盛況のうちに終わったのだが、本当に暖かい、いいライブだった。お店の人たちも皆いい人達ばかりだ。で、相変わらず橘に通っている。さて週刊モーニング「HEY!ブルースマン」に実名で登場した。今日6/24発売のにも出る。更に30年前のワンステップ・フェステイバルの音源が出てCD化されるらしい、ちょっと聞いたが未熟で恥ずかしいが、ま、堪忍したってや、て感じかな。それほど長いことやってんねんからちょっと位伝説チックなとこがあってもいいだろう。19日の舞鶴のCONCERTも良かった。関西でやってるエミさん、晴さん、LARRY等、皆さん盛り上がって行きましょうね!大型台風が来た。退屈な音楽SCENE少しでも荒れ模様にしましょうぜ!終わり。
■2004/07/08 (木) 人生日々精進・・・日々の出来事を綴っております。 オープン 人生日々精進・・・日々の出来事を綴っております。 がオープンしました
■2004/07/12 (月) 日記 やばーい、日記になってるではないか?思えば小学生の時、日記をつけるぞーと始めたはいいが、全く三日坊主であとは白紙が続いたのを思い出す。しかし日記なのだから何か書いて行こうという気はある。せめてその日食べた物とか…まぁ期待しないでください、皆さん。時々開けると意外性があっていいかも。
■2004/07/15 (木) 本日も暑天なり 昨日、お昼のニュース、九州の高速道路でトラックが横転、豚が逃げ出してトン だ騒ぎに。夜は生徒達とか珍獣王国のライブ、ハルさんや小川、松本さんまで加わって、しまいにゃ水森亜土さんまで飛び出してとてもエンターテイメントたっぷりな内容になった。しかも満員御礼だ。心地よい疲労感である、さーて「UFO」ビデオでもみてねるか。
■2004/07/16 (金) 皆の願い 世界安全 今日は何事もなく一日終わった。しかし夜にラーメンを食べるという罪を犯してしまった。反省!パーデイ情報が入った。infoまたはscheを見て下さい。おわり。
■2004/07/17 (土) 祇園祭 京都の夏と言えばやはり祇園祭というのが一般的かも知れない。昨日はなんと40万人の人出だったらしい。40万人とはあのウッドストックと同じではないか!そこでアンケートをした。三人の京都人に聞きました、「君は祇園さんへ行きましたか?」?@なんか彼女でもできそうな雰囲気な時不純な動機いっぱいてな感じでないと人ばかり多くていやだ。?A中学の時に行って金魚すくいしたきりで、ゆかたもその時のしかないから着れないし、疲れるからいやだ。?B祭りと云ってもだんじりみたいな派手さ、熱狂さも動きもなく地味だ。山鉾巡行も暴走ならおもしろいのに…と云った意見が聞けた。そういやー、子供のころ九州の筑豊の祭りはお御輿担いで濁流の川を渡るというワイルドなものだった。まあしかしある年令を過ぎるとなかなか足がむかないらしい、少なくとも私を含めたまわりの親しい方に限っては。私も京都人に成ってきたかな?いや成れるかな?
■2004/07/18 (日) K-1 曙が出てきた。負けた。横綱現役時代よりもでかかった。前へ出る寄りは強いがパンチがない、結局負けた。何か自分の体が重そうだった。自分に鑑みて反省。
■2004/07/19 (月) BLUES小祭り なるLIVEが大阪四つ橋のライブハウス、ビートルズで有った。大阪ジム、 京都ジムの弟子達も参加してくれておおいに盛り上がった。弟子達が演奏しているのを聞いてはっ、とすることが有る。知らない間に腕を上げていたり、センスがキラッと光ったりすることに驚く。本当に若い間にいい音楽を知り、精通し、鍛錬し自分のやるべき、またはやりたい事を見いだすなら、その伸びる速度はどんどん加速していく。こっちにも今度は一緒にPLAYする楽しみが出てくる。一時停車のつもりの京都だったが、いまさらヒートアイランドの東京にはよう住まんし、こうしてローカルで地道な活動をしながら弟子たちに囲まれてやっていくのも悪くないな、いや自分には合ってるかも知れないなと思う今日このごろではある。
■2004/07/21 (水) 見たぞ!MOTOWN いいという噂を聞くまでもなく、はなから見ようと思っていた映画「Standing in the shadow of MOTOWN]・・ええなあこのタイトル。 INtrOが始まってから息もつかせずぐいぐい引っぱり込まれていく。いわゆるBACK MUSICIAN(あまり好きな言葉ではないが)にスポットをあてた、いや彼らこそが主演である。その名をFUNK BROTHERSといいMOTOWNの黄金時代を支えてきたMUSICIAN達だ。オリジナル メンバーでMOTOWN GROOVEを築いた偉大なベーシストJAMES JEMERSONはいないが皆が彼の功績をたたえる。JEMERSONのBASSLINEだけが流れるシーンがあるがそのほんのちょっとがカッコイイのだ。ホントはJAZZバリバリに弾けるGUITARISTふたりが音数少なくアンサンブルに徹している。DRUMSがまたかっこいい、ご機嫌なビートに深い味わいがある。10秒でも一緒に演奏出来たらなと思う。過去の音源とCHAKA KAHNやBOOTSY,ンデゲオセロ、G.LEVERTらのライブ演奏とが混じり合いながら、名曲が次々と流れる。演奏こそ音楽なのだ、彼らこそがMOTOWN SOUNDを作り上げたのだという証明である。もう書ききれない、絶対見なければあかん。演奏の事が分かってない歌手は云うまでもない。
■2004/07/22 (木) いやになった。 あー、畜生、せっかく昨日のSET MENUを細かく書いてさあ出来たと思ったら操作ミスで消えてしまった。あー気分が悪い。もう寝る。
■2004/07/24 (土) 荻窪ルースター 本日、東京一発目ルースターのライブ。メンバーはハーモニカとボーカルにKOTEZ、オルガンに金子雄太、ドラムスに大槻KALTA英宣という東京の若手精鋭達とのセッションである。三人とも素晴らしい成長株のプレイヤーである。エネルギッシュで音楽に真っ正面から取り組む姿勢がよいサウンドとグルーブを生む。聞かせどころもしっかり持っておりパワフルな演奏となった。さすが東京、層の厚さを感じる。関西にもああ云った若手でいいプレイヤーが育って欲しいと切に願うのみである。やはり厳しい競争が伸びる力となってるのかも知れない。どうしたらいいプレイヤーになるのかという点を考えさせられる、これは私にとっても参考になった。11月には今度は自分のバンドS.S.Bで関東攻めを計画中だ。明日は鰻でも食べに行くかな。
■2004/07/25 (日) 東京見物? 昨日はオフで、新宿へまず行きヨドバシカメラ、ビッグカメラを覗く。ビッグカメラではアジア系の集団が…聞いたことのないような言葉が飛びかい、??すぐ出てしまった。それからタワーレコードへ。しかしこの新宿の喧騒はなんだ?底知れぬものを感じるが、何か懐かしくも有りたまに来ると新鮮だった。で、紀国屋へ行く。なんだこれではコースとしては普段とかわらないな。そして神保町で古本屋を見て、銀座で待望の鰻をごちになってしまった。Tさんご馳走様でした。というお登りさん丸出しの一日どした。明日は日比谷。
■2004/07/26 (月) 日比谷野音 炎天下の日比谷野音で次郎吉30周年記念コンサートは行なわれた。私の出番は最初で、シーナ アンド ロケットの鮎川誠氏、永井ホトケ氏をボーカルにKYONのキーボード、藤井裕のベース、松本照夫のドラムス、それにドクトル梅津、片山広明のサックスが入る豪華な顔触れである。このセットだけでも2ステージのライブなどなんなくこなせるが、何せこのようなありあまる顔揃えがあと三組ある。有名どころでは山下洋輔だの、チャー等など総勢30名以上の出演者である。収拾つくんかいなと思いきやさすがプロである、それそれ聞かせどころをちりばめ音的にもまとまっている。こんなことで私の30分余りのステージはあっという間に終わった。よいステージだったと思う。お客さんも席はほぼ埋まっていたのでいうことなしである。盛り上がってアンコールでは再出場してソロを弾きまくってしまった。悪いが気持ちよかった。
■2004/08/08 (日) 落雷! ちょっとさぼると、すぐ一週間くらい経ってしまう。
今日は夕方落雷が有り大雨だった。鴨川の河川敷が水であふれる珍事が起きていた。マジで怖かった。落ちるわ、落ちるわ、近くに落ちたのか電源が落ちた。いわゆる停電というやつだ。結構楽しめたがCPが変調をきたした、その後も雷はしつこく暴れていた。
しかしあの音の凄さはなんなんだ?いったい何キロワットあるというのか?、閃光のあとすかさず轟音が、デイレイがかかって地ひびきする。地獄のパワーだ。だいぶ前にも思ったがこの世で一番すごい音ではないだろうか?大概の音というものは心地よいとか、よくないとかの対象となるが、この雷の音はうるさいとか云うのをはるかに越えていてびびってしまう。しかもSPEAKERはない、POWER
AMPは雲の中だろうが、そこには変な話だがPRE AMPも何もない。 さて今週は我慢が大事とわかっていても愚痴が出てしまった。自分の非力さも知らされた。現在かかわってるライブに対する店側、統括PRODUCER、STAFF等の関心の無さ、ACTIONの無さ、ひいては音楽への無理解などを知り愕然とするアホな自分をみるハメになった。
商業が音楽を牛耳ってるように思えてならない現状だが、ここは東京ではないやろ?京都で商業として成り立ってる音楽が果たして幾つ有るというのか?東京に右へ習えばかりしょうとしてるように思えるが、それでは何も生まれない。ほんまにしんどいな、あと5年も10年も待てないな。勿論音源とか作って行くが(このところ少なかった)、このまま孤立無援だとやばい。やってる事が商売にならないとは思えない。充分商業的に成功する要素はある。どこか後押しして欲しいわ、京都の財力有って音楽にかかわりたい方?ワタシのやって来た仕事を知って、音楽を聴いて欲しい。一緒のもうけまへんか?あれ?また独り言か?当分続きそうだな。
■2004/08/09 (月) 長崎 山端ようすけという人が、長崎で原爆が炸裂してから19時間後に撮った写真百数十枚を紹介する番組があった。あまりに凄すぎて黙るしかなかったが、その現状を伝える貴重なフィルムが残っていてアメリカでそのフィルムをデジタル修正した画像は鮮明なもので、素晴らしい。展示会もアメリカであった。一度見てみたいものだ。その写真には崩壊したり、焼け落ちて骨組みだけになった建物などの風景だけでなく、人々を写したのも多い。その表情は怒りを通り越して、なぜこうなったのかというような、突然襲った悲劇に苦悩し、悲しんでいるように思えた。黒焦げで遺体となって横たわる母親のそばで呆然とたちつくす娘。頭、顔にひどいやけどを負った四か月の赤ん坊(まもなく亡くなった)にお乳を飲ませる母親の姿、…鼻柱が熱くなった。終戦記念日がやってくる。戦争のツケはおおきい、しかしすぐ忘れられる。アメリカは建国より腕力に物をいわせ、刃物が銃に、そして核となった。今度落ちたら世界はほぼ終わるだろう。懲りへんな。
■2004/08/27 (金) 夏も終わりに 近づいた。日記はちよっとさぼるとすぐに日にちが開いて月記となってしまう。さて関東ツアーで千葉の外れにある、ひめはるの里というところで野外のジャズフェスがあった。面白いのは大学別の選抜で出てきた連中の演奏だ。なんと東大、早稲田、東京理科大と三つ聞いたが、これがうまいのなんの驚いた。早稲田のギターはウェスをかなり追求していた。信じられないほどよく弾けていた。あんなのが30年前に出ていたら、即人気投票一位ではなかろうか?東大もギターはよかった。他の楽器もベース、ドラムとかなりなものだった。しかしいつ勉強してるのかと思ってしまう。まあ、これが情報の発達のなせる技かも知れん。明日から合宿だ。楽しむぞー。
■2004/08/30 (月) 合宿終わる。 今、マラソンを見てるが、一位を走っていたブラジルのリマという選手が突然飛び出て来た観客らしき男に押さえ込まれ走るのを中断させられるというハプニングが起こった。なんちゅうこっちゃ!こんなん有りかい?こりゃ、ブラジル国民は怒るぜ。 合宿での一コマ、ドラムのラリーが「伸ちゃんそこにモンスターがいる!やばい、恐い、初めて見たよ」とドアを半開きにして覗いていた。何かなと思えばカマキリだった。笑ってしまった。
■2004/09/10 (金) またあの9.11が・・・・ 地震、雷、火事、親父というが今時は地震、台風、テロ、おばハンになろうか。地震はいつ何時やってくるか分からない。地面が揺れるのだからどうしょうもない。つい先日のやつみたいにユサユサと長い間揺れが止まらないとあの阪神大地震を思い起こしてゾーッとする。台風は予測が出来るだけましかも知れないが、来てみないと分からない怖さがある。それにしても最近のテロの頻度はどうなってるのか?ベスランのなんて条件もへったくれもなく殺すのが目的になってる。ああ恐ろしい、憎しみだけが倍加されて元へはもどれん、出口無しの泥仕合か?日本もその内あるのだろうか?こんな世界に誰がした?日本でやってるTVのバカ番組なんかを見て「こいつらみなアホや、みな殺しにしたる」なんて、ある過激武装組織は思っているのだろうか?明日は9.11である。今、日本は平和ボケかもしれないが、いままで世界がみな平和な時なんてあったのだろうか?疑問だらけのこのごろである。
■2004/09/11 (土) 9.11あれから3年 ・・・・今日は実はへこんでいるのである。というかやりきれない、重い気分である。なぜなら子供の時以来お目にかかる、でっかい蜘蛛が部屋に出現したのである。5cm以上あろうかの長い足が10本位は有りそうだ。胴体だけでも2cmはある。青く光るラインがベルトみたいになっている。情けないがびびってしまった。どこからどうやって入ってきたのか?はたしてどうしたらいいのか?ゴキブリならむかついて「このやろー」てな感じでゴキジェットを噴射してカタをつけるのだが。この蜘蛛は殺したくない、しかしずーっと家の中にいられたら、寝てるときに侵入されたらたまったものではない。やはりゴキジェットでおだぶつになってもらうしかないという結論に達した。噴射すると猛スピードで走り出し隣の部屋まで逃げて行ったが、ジェットが効いたのかまた戻ってきた。だめ押しの一吹きで弱ってスピーカーの下へ逃げていった。どうなったか確認していない。いやな気分である、でかいだけに何か変に情が移る。奇しくも9.11に大蜘蛛にテロ攻撃をしてしまった。蜘蛛は益虫のはずだが、あれほどでかいのは堪忍してほしい。安らかに眠ってくれよ。
明日からPURDIE親分とのリハーサルが始まる、といっても次の日はもう本番だ。どうなることやら、BESTをつくすしかない。
■2004/09/13 (月) ハイ・カロリー ハイ・パワー パーデイー親分とのリハを終えて和歌山から帰ってきた。明日ライブなのでもう寝ないといけないが今日の模様は忘れんうちにかいとこう。久々に会った親分強烈にハグしてくれた。今回はBASSのロイ、PERCUSSIONのパンチョ、 trUMPETのウィンストン、KEYBOADのジョンと5人も来日メンバーがいる。久々ぶりにAMERICAにいるみたいな気分になれた。 リハの中にも緊張感とリラックスが混ざっていい雰意気である。親分のドラムは口では言い表せない、それは素晴らしく音楽である。芸術的、美的、カッコいいのである。GUITARを弾いててこれほど幸せな気分になれた事がかってあるだろうか?もともと私はPURDIEにはミーハーなのである。食事に行く時、私の車に乗ってくれたので「BERNARD PURDIE IS IN MY CARだ」とか云って携帯カメラでパチリ、どうだ・お宝画像じゃ、と一人ほくそ笑むのである。さてその後の食事が大笑いだった。大体予測はついていたつもりだったが、かなり上回った。オムライス屋での注文、オムライスを説明するのにも手こずっていたようだが、とにかく肉なのだ。ウィンストンは最初からジョッキのコーラが二杯置いてある。で、出てきた、オムライス大の上に大ハンバーグが乗っている、うわーと思っているとそこへまた追加のハンバーグが来て、更に一個増え二個乗りオムライスが隠れてしまっている。むこうではパンチョが「俺のステーキはどうなってる?」とご機嫌ななめだ。まあしかしカロリー計算したらどんな数字になるのだろうか?ほんまに肉の好きなアメリカ人である。あのグルーブとパワー、それに底抜けの明るさはこの食が大いに影響してるのだろうか?と感心してる間に更に追加の三杯目のコーラが来た。
■2004/09/26 (日) 名古屋にて 岐阜でのライブを終え名古屋へ来た。このところめまぐるしい日が続いている。忘れないうちにパーディ親分の事を記しておきたい。今はともかく感謝でいっぱいである。来日するまではいろいろと決まるのが遅くてやきもきしたが始まってみれば楽しい日々だった。メンバーともすぐ親しくなれたしギタープレイも気に入ってくれたようだった。メンバーはそれぞれ個性的でいいヤツて感じで、プレイはもちろんすばらしい。パンチョはアレサのフィルモア ライブにパーディとともに入っている。ほんとに歌うパーカションだ。68才とは思えない若々しいプレイである。マービン・ゲイやはてはサム・クックまで共演したというから驚きだ。ベースのロイは親分とグルーヴを共に生み出す原動力となっている。歌もすばらしい、野獣のような男だがどこか可愛いいいヤツなのだ。後のメンバーについてはまた後日述べる。さすが親分の選んだメンバーは人間味もたっぷりだ。
■2004/09/29 (水) 秋の気配 秋とはなにげに切ない季節である。夏の爆発が終わり冬へ向かってゆっくり温度が下がって行く。無性に人恋しく成るような気がする。こんな時電気もパソコンも無かった平安時代など「いといみじう~けれ」とか洒落た歌の一つも出てきそうな気がする。 さて赤味噌の本場、名古屋からかえってきた。新幹線で40分、大阪行くのと時間は変わらない。昔より身近に感じる名古屋である。考えると関西でも東京でもない、大都市だが何処か庶民的な感じがする、不思議なというか、改めてなかなか面白いところだなあと思う。人間もとてもパワフルであるし。さてパーデイ・オールスターズの残りのメンバーについて書こう。keyboadのJOHN KORBA,コルバとは変わった名前だがルーツは何処の国なのか?穏やかで紳士である、賢そうである。歌がうまい、KEYBOADもうまい、STEELY DANの曲なんかをさらっとやってのける。HALL&OATESのツアーメンバーというからただ者ではない。GUITARもうまい、気取らないオタッキーないい奴て感じだ。trUMPETのWINSTONはまずよー喋る、一日中ひっきり無しに喋り続けるタイプであろう。そしてよう食う、普通の人の二倍は食うだろう、従って体格もXXLサイズだ。恐ろしくうまいPETだ。アルバムを聴いたがN.Yの最新SOUNDをうかがわせる、アカデミックな音だ。人間は充分にWILDさを持ち合わせている。初めて会ってリハーサルで音を出した瞬間「N.Yへ来いよ、君なら仕事が出来るよ」と云ってくれた。ほんとにみな人なつっこくて、さすがパーデイ親分のもとには腕も人間味もあるいいプレイヤーが集まって来るのだなと思った。吉弘千鶴子と親分は次回に。
■2004/10/29 (金) 一ヵ月ぶりの・・・ いやー、まいった。ちよっと留守にしてるうちに一カ月も経ってしまった。これでは話が前とつながりません、反省。しかし今月はえらく忙しい月なのだ、ライブが続き終わって帰るとバタキュウなのである。パーディ親分とのライブは先月だったのに遥か前のように感じる。そうや、吉弘千鶴子氏のこともかかなきゃならん。パーディ親分と演奏できるきっかけを与えてくれたのは実は彼女なのである。彼女がギターならSHINJIをと薦めてくれたのだ。とても感謝している、パーディ親分との連絡がかりなど多方面にわたり先のライブに貢献してくれた。彼女のプレイヤーとしての才能はパーディ親分も信頼が厚い、とにかく恐ろしくうまい、そしてセンスがよい。男のピアノ弾きでもなかなかいまい。ソロなんかではすばらしい冴えを見せる。ニュー・オリンズを行ったり来たりする国際派のピアニストである。さて最後に親分だが、まずあれだけの偉大な人なのに気取らず、ひとなっつこい、ほんまにいい人なのである。バンドの連中の面倒見ももちろんいい。なのでバンドのリレーションシップは皆のリスペクトが自然に向けられ、暖かく楽しい空気に満ちている。それはそうだ!あのモジョでの夜、パーディ親分がドラムセットに座り、おもむろにハイハットを刻みだしただけで場内の空気が変わった、そして一発バックビートでスネアーを叩いた瞬間、場内は一気に歓声で盛り上がる。あのようなドラマーは見たことがない、まさにオーラに満ちている。彼とプレイするなんて20年前でも夢にも思わなかった。ほんとにバーナード・パーディのドラムが好きで聞いててよかった!B.B KINGの時も感動したが、今回は長く一緒にライブにオフに居れて最高だった。また親分の話をしますよ。
■2004/11/22 (月) 月記 日記とは言い難いので月記にしようかな。なかなかしょっちゅう書けないものだ。 11月の2~8日のツアーは圧巻だった。何せ八人ものメンバーで関西から繰り出し延々一週間も演奏と移動が続いたのだ。終わってみればクタクタで調子が元へ戻るのに二、三日かかった。しかし何と楽しいものか!もう気分がハイで浮き浮き、まるで修学旅行である。まず毎回の食事、これがイベントみたいなものだ。あらかじめターゲットを絞って行った鰻の八幡屋は千葉のはずれにあった。このツアーでは最高の味だった。東京3連泊のうち二日は昼前に晴さんと蕎麦を食べに行った。日頃の習慣はなかなか抜けるものではない、私のブランチは絶対と云ってもいいくらい蕎麦なのだ。やはり関東は蕎麦の本場である、うまい、デパートに出店してるのでちと高かったが。改めて橘の存在は有り難いと思った。食と言えばこのツアー、エミちゃんが参加しているのである。彼女の首が横に振ることは許されないのである。ツアー二日目の荻窪ルースターのリハ後の事である。目的の中華飯店に我々が先行しエミさんがあとで追い付くべく飯店に来てみると、我々先行組は入れるがあとからくるエミさんたちは座れる保証はないとのこと。泣く泣く断念した、ここで我々だけが食べたらこのツアー次の日からの差し障りは明らかであろう。そこで一か八か荻窪ラーメンの、私が昔よく通った店へ行くことにした。場所が変わっている、醤油ラーメンで荻窪ラーメンの代表格でうまかったのだが、ひょっとして味が変わってたらどうしょうという一抹の不安が… 続く…
■2004/12/02 (木) 関東ツアー2 さて、その荻窪ラーメンは醤油味のごくスタンダードなものだが味付けたまごをいれて食べるのがいいのである。二代目であろうか中年の入り口といった店主が無口に麺をゆではじめる。そのへんの雰囲気は昔と変わらない、ああ思い出すなあ、東京へ出てきたばかりの頃を。あの頃は先のことも考えずにその日が楽しけりゃええわいと思いながら暮らしていたなぁ。ちよっと待てよ、今もちっとも変わらずその日暮しの日々ではないか!こりゃまいった。さて出てきた中華そばだが、緊張感をもってさいしょにスープをひとすすりした。うん、うまい!変わらない味だ、あっさり醤油味だがしっかりダシが効いている。麺もよい、よかった、エミちゃんの顔色をうかがう、笑顔でおいしいワと答えた。ホッと一安心だ、みんなも満足げな顔で食べていた。この日のルースターは、ホトケ、小堀氏、レオ、妹尾ちゃんまで遊びに来てくれておおいに盛り上がった。やはりライブ前の食は大事だ。
■2004/12/03 (金) その3 ツアーは日々面白かった。初めて演奏するお店、道中の景色などメンバーには新鮮に映ったことだろう。関東には関東の旨いものがある。千葉の外れの茂原もよかったな。泊りはコテージだったし、演奏も盛り上がったし。関東最終日の次郎吉を終えて、ある作戦を胸に秘め夜中に移動、一路富士山のふもと山梨県富士吉田へ向かう。作戦とは山梨名物「ほうとう」を食べてから名古屋へ向かうというもので、そのためにわざわざ次郎吉での演奏後さっさとかたずけ打ち上げも程ほどに高円寺を発ったのである。中央道で約一時間半、河口湖インターで降り目的の富士あすみ湖温泉旅館に向かう、ここで事件がおこる。早くから予約してネットで地図も用意して探すが見当たらない。あたりは真っ暗でぐるぐると同じところを回るはめに、みな疲れている、自分もトホホと怒りがこみあがってやばい雰囲気になってきた。偶然にも近くにいた地元の人に聞いてやっとわかった。なんだ地図がちがってるやないか!というか地図にも書きにくいような道なのだ、やっと辿り着くとなんだか怪しい雰囲気のところで、寝ていた主人が起きて出てきたがこれがまた水木しげるの漫画に出てきそうなキャラなのだ。朝起きると前には大きな沼が!蓮根がいっぱいはえている。きつねかたぬきにばかされたような気になる。これがあすみ湖だったとは、たんなる沼やないか!しかしみなさん一度行ってはいかがかな?けっこう人気があるらしい、安いし。で、次のお昼に食べたほうとうはやはり旨かった。10年住んだ山梨が無性に懐かしく感じた。