塩次伸二の徒然日記
(2004年3月~2008年6月)

PCI Online での連載コラム
(2004年10月~2008年8月)

PCIOnline
(2007年6月
LAでのインタビューとライブ)

Welcome to Shinji Shiotsugu On Line


■2005/01/25 (火) なんぼ開くねん! と怒られそうである。12月3日以来の日記なのだ。今日は一念発起して書くゾウ。まあ日頃の生活ペースにかまけてなかなか書けなかった。hp等見ているとまめに書いている人がいるが全く「あんたはえらい!」と云いたくなる。ライブの日は終わって帰って来てからではまず書く気がしない。作文は嫌いではない、小学生の時先生にほめられその作文は掲載されて、その後学校代表と云うことでコンクールみたいなのに出されたがテーマを決められて、それを書けというものだった。結果は全然ダメ、今から考えると自分の好きなテーマ「バス遠足」だったからこそ筆が進んだのだ。その時すらすら書けて賞でも取っていたら今頃、直木賞かなんか頂いて左うちわだったかも知れん、いやあり得ん。時折「仕事以外の時どのくらい練習するのですか?」という質問をされる。正直あまりしない。それではあかんと思いつつもあまりしない。ウリャ-ッと何か湧いたときに集中してやる。それ程長い時間ではないが、集中度が大事だ。大体この年に成って集中力は長く持続するものではない。要は中身だと思う。そりゃー若い時はクソ程練習した。20代後半は一日にやるカリキュラムみたいなものを決めて思い付くままの練習法を試した。午前中は音楽を聞きながら、ただ聞くのではなく全体の構成、コード進行、リズムパターン等、プレイする地点から注意深く聞き取るのである。午後はgood grooveを作るためのリズム強化練習、その後スケール練習とか、いろいろやったなあ。反省!! 最近は頭脳の老化を避けるため”なぞなぞ”に取り組んでいる。アホですね、完全に言い訳ですわ、そんなことやらんと練習したり曲でも書かんかい、怒られそうだがなぞなぞは面白い、だじゃれも好きやしなあ。e mailでなぞなぞ、これはもう団塊の世代にとって革命的なのである(俺だけか?)まあしかし面白い遊びである。昔親父が何かの宴会でめちゃもりあがってとぼけた顔をしている写真(もちろん更に昔のもの)を見て不思議に思っていた。私が知る限り死ぬまでそのような顔を見ることはなかった。息子に対しては威厳を保ちたかったのだろうか?今となっては知る由もないが、一度でも見たかったものである。私が写真を撮るとき変な顔にこだわるのはそのへんが根底にあるのかな。

■2005/01/26 (水) 謎解き なぞなぞは人に出すのは快感だが、出されたほうは大変なようである。出した方は答えが解っているから相手の反応に応じてヒントなど出していれば良い。私も最初は出す一方で、「○○に何が来るのか解らず悩んでいます。仕事も手につかず、上司から呼ばれても思考中の時等、返事が遅れて怪訝な顔をされました。」なんてメールで来ると、ヤバいと思う反面「そうかそうかクイズは楽しいやろ?」なんてほくそ笑んでしまうのだ。ところがこのところお返しがやってくる。今度は自分が考えに沈む番だ、考えるわ、考えるわ、受験勉強以来ではないのか、これほど考えるのは!これで出された方の気持ちが解って来た。そして答えが解った時なかなかスカーッとするのだ。悩んだ分喜びも大きい。ストレス発散にいいかも知れない。大体なぞなぞの答えは明解のものが多い、というかやはりなるほどと納得させられるものでないといけない。サルヂエの問題で「西郷隆盛が食事で最後の締めに食べるものは何?」という問題があった。答えは「最後うどん」である。よく出来ている。西郷隆盛を別な言い方でひねり、駄洒落が入って落ちがつく。なるほどというしかない。こういうタイプのは昔はなかったと思う、なぞなぞとは子供のもので「上へ行く時満員で下がって来る時からっぽなの、なーんだ?」なんていうのが殆どだった。それに比べて今は大人が楽しむ時代なのか?なぞなぞライターもいると聞く。まあたわいもないかも知れないが、楽しいのである、しばらく続きそうである。ただメールで送受信しているのだが、中にはまたか、と思っているのだろうか、返事が返って来ずかまってくれないのは何とも寂しいものだ。まあ皆忙しいだろうから無理もないだろうが。しかしこっちそれ程ひまでもないのだが。

■2005/01/29 (土) NETの旅 最近CD shopへ行くことがめっきり少なくなった。もちろんnet shoppingのためである。価格もそれほどではないし、部屋にいながらにしていろいろ見て選べる、keyboadのbuttonをポンと押せば決まり。後は荷が来るのをひたすら待てばいいのだ。送料は掛からない、代引料が300円ほどだ。 これとて町へ出て返ってくれば電車賃は500円以上かかる。しかも町中の喧噪も疲労もあわずにすむ。たしかに便利で良い、しかし便利すぎてやばい。調子に乗ってオーダーし過ぎてあとで困ったりする。最近ではUSAまで飛んでいく、欲しいものがあるとまた困る。何せ本体より配送料の方が高い、こんなことなら本国まで行った方がよっぽど安上がりだろう。昨日久しぶりにテレビ出演した、生番だったし簡単なカメリハで本番だ。さほど緊張することもなく生ギタ-演奏と映画「リバイバル・ブルース」 について質問に答えて喋ったが、8分も時間を割いてくれたのは有り難い。いい宣伝させてもらった。また出る予定があるので張り切ろうかな。最近超巨星が3個も発見されたらしい。その大きさたるや、その星の中心を太陽に据えたとすると外側は木星の軌道に達するとのこと。中学生の時は地球の軌道にスッポリ入る星があると知り頭がクラクラしたものだが今では木星の軌道やと?想像を絶している。この年になっても宇宙は興味深い。

■2005/02/04 (金) 衝動! 永い付き合いのボーカリスト、かれこれ30年以上のと云えばわかる人も周りにはいるだろう。突然「清水の舞台から飛び下りました」とメールが有り写真が添付されていた。真っ赤な、真新しいgibsonの335が!びっくりした。何年ものだとか、いくらやったとかいろいろ聞いた。そして最後に「もちろん衝動買いでしょ?」と聞いたら「blues衝動買いです」との答え、そやろそやろ、ギターは衝動買いするものであると常々思っている私は妙に納得してしまった。そしてちょっぴりうらやましくもある。あのギターを買った時の喜びはえも言えぬものがある、ましてやギターに取り組むのが遅いスタートだけに喜びも一潮であろう。実は私も同型モデルを現在探している所なのだ。先を越されてしまった。ただguitaristなだけにアホほどギターはある、何もしなくても増えて来るのだ。しかしギターっていうのはいくら増えてもかまわないのだ。めったに触らないギターも何本かあるが、自分の子供みたいなものだろうか?なかなか手放す気にはなれないものだ、去年は仕方なく手放してしまったが。買う時は衝動が一番なのである。ビビーンと来たらもういけない、後はそのギターを買うための口実を自分に言い聞かせるのだ。「このギターがここに有って俺が来るのを待ってたのだ、これは運命の何ものでもない!ジャジャジャジャ-ン!」てな感じで知らぬ間にロ-ン用紙にサインしている。これでいいのだ。まさにbluesも衝動だ、込み上げる感情をギターに移入して弦を震わすのだ。やはりいい衝動は人生に必要だと思う。感情豊かに暮らしたいものだ。心臓に悪いような衝動は要らないが、思わぬ時に思わぬ形で来たりするから、いい時を精一杯生きるのだと何かで読んだ気がする。誰だってオッズの分からないリスクと隣り合わせの人生を送ってるんですからね。さあて「なにわ遊侠伝」でも読んで寝るか。

■2005/02/06 (日) 違うねん! 今日、ショッピングセンタ-ヘ行った。この時期バレンタインデーに向けてチョコが山積みである。有った!それも何種類も。迷った末買った、ウイスキーボンボンを。キャッシャーで若い女性が何となく「この人、淋しいのね。誰もチョコくれへんから自分で買うのね。」という表情で包装紙をどうしょうか迷っているように見えた。それを察した俺は「自分で食べるので包装は簡単に」と言ってしまった。女性は「はい」と答えて事務的に包装を終え袋を差し出した。ウーン何も言わんといたら良かった。俺はこう言いたかった「違うねん、そうやないねん、俺はなウイスキーボンボンが大好きやねん、酒は飲めんけどこれは好きなんや、モロゾフのが一番好きやったのにもう製造中止になってしもたんや。ボンボンはな普段あまり売ってないねん、この時期だけは色々種類も多くあるから買うのは今しかないねん、俺かてチョコの一個や二個はもらえるねん、そやけどこれは自分で買うて食べまんねん」と。しかし今日のは失敗やった。明日は不二屋のナポレオン・ボンボンを買うで~。

■2005/03/21 (月) HALL and OATES いや~、恥ずかしながら40日以上ぶりの日記である。言い訳はなしだ、この日記を楽しみにしている数少ないだろう方にはすまぬというしかない。 さて今月の15日にHall and Oatesのコンサートに招待してもらうというラッキーを得た。Hall and Oates なんと久しく聞く名前だろうか、20年前にはよく聞いたものだった。今はどうなっているのか興味津々ながらに前から2番目、ど真ん中というとんでもない席に着き開演を待った。ふと回りを見渡した、30代~40代が多い、いやそれ以上のおっちゃん、おばちゃんもかなりいる。やはり女性に人気が根強いのか6割方女性客と見た。ステージを見る、いたってシンプルなセッテイングある。巨大なアンプ類もなければ、keyboadに高層ビルのごときeffecterの山積みもない。guitar ampもfenderだが何なのかは解らない、というのは2番目の席にもかかわらずステージまでの距離が遠いのだ、なんでもしきりというのかオーケストラボックス分を板で埋めて有るのだ。厚生年金会館てこんなんだったかな?と思った、まさか厚生年金の問題が関係あるとも思えないし。さてショーが始まった、H&Oが出て来た瞬間に私の周りは早くも総立ちだ、ウーン20年程前だったか東京ドームでローリングストーンズを見に行った悪夢が一瞬蘇った、あの時は後ろの席だったにもかかわらず最初から総立ちでしかも席が遠いので音が遅れて聞こえるのだ。見えない、聞けないで途中でもう二度とこういうコンサートはご免だという苦い思い出があるのだ。今回はしかして真ん前の野郎が図体がでかい、従ってHallが見えにくい。周りはチケット買うにも並み大抵ではなかっただろう、いわばH&Oの信者達である、それを理解するのにはそれほど時間は掛からなかったが。彼等に言わせると立って聞くのは当然らしい。ともかく1曲目は大ヒット曲「maneater」からスタートである。この曲は私もよく知っている。この曲でH&Oは世界的にブレイクしたはずだ。 見るのは初めてだがcdなんかで聞くのとそれ程ギャップがないアーチストだといえよう、バンドのサウンドも良いし実力と人気を兼ね備えたスーパーユニットだ。 しかし追加公演というのにほぼ満席、世界的名声を得て永くいまだにこれだけの人気を保てるのは何なのか?それに比べて俺は何をして来たのか?厚生年金ホールで演奏したのなんて何回あるのか?H&Oよりもそんなことが頭を過る。続く。

■2005/03/24 (木) Hall & Oates まあ向こうは世界的スター、こっちはアジアのまた端の日本のローカル、マイナーギター弾き、羨望のまなざしは否定できない。こいつらいったい今までにいくら稼いでどんな家立ててどんな暮らししてんのやろ?なんてデバガメ的発想が湧いて来る。それに比べてbluesなんてやったばっかりにいまだにその日暮し、老後も不安でcdも売れず、自分は完全に負け組なのかという情けない気持ちに一瞬なってしまった。 H&Oは次々と演奏を続けて行く。60年代のR&Bの知られた曲を織りまぜて良質なPOPS、これがPOPなのさ、てな具合で演奏が続く。確かによく知られた曲、時折自身のヒット曲が出て来てファンは退屈しないだろう。Hallはほんとに歌がうまい、ギターも弾くしキーボードも半端や無い、天才肌でワンマンなのは一目で解る。それに比べてOatesは、はっきりいうと地味なほうだ、リードボーカルを取る曲はほとんど無い。ひたすらコーラスとバッキングのギターに徹している。Hall & Oatesは名前とは裏腹に実はHallのワンマンバンドなのが見えて来た。でも私はJohnの渋さはいいなあと思った、人柄もよさそうやし。bandも皆確かな腕の実力者ばかりだ、当然だが。面白いのはステージ衣装なんてのが全く意識してないように思える、普段着のままじゃないかと思った、みなバラバラのかっこである。まるで音で勝負なのさ、服なんてどうでもいいじゃないかとでもいわんばかりに。まあ、それはそうだろう少なくとも周りの信者さん達は曲にも精通しててどこでどんな手拍子を入れたらいいのか百も承知で、左となりにいた女性なんかはJohnに何度も指差して「今Johnが私を見たのよ!」なんて興奮している、ちょっと自意識過剰気味なのには、これはもう私なんかがついていける領域ではない。私はH&Oの音楽にそこまで熱狂もしなければ、ましてHallの汗のついたtシャツが欲しいわけではない。正直いって音楽的にはあまり得るものは無かったといってもいいだろう。それはそうだ、今私の興味のある音楽では無いし、良質なセンスの良いPOPSだとは思うが、残念ながらbluesやjazzなどの即興性に溢れた音やJ.B、Funk.hiphopなどの黒い音に脳みそを侵されてる私には、いま一出汁の効いていない蕎麦を食べたような気分なのだ。 まあしかし多くのファンを引き付けてやまないH&Oの力は目の当たりに見れていろんな事も考えさせられた。続く。

■2005/03/25 (金) その3 今私が思うに、ちゃんとしたライブを聞かせられる音楽、逆にいえばライブに行きたくなるアーチストはどれほどいるのだろうか?まあCD等を聞けば大体解るのだが、ライブを見るとガクッとくることが多いものだ。といってもそれほどライブに数多く行った訳ではないので大きなことは言えないが、Marcus Miller. B B King.Joe sample.David Sanborn.等等CD以上にすばらしかった。そんな中H & Oも確実に聞きごたえのあるアーチストだろう。そして信者たちの心を掴んで離さない力を持ち続けている、そのパワーをまざまざと見せつけられた。 今回いつもとは違う聴衆の立場でH & Oを聞けたのは思わぬ収穫だと思っている。正直前から2番目の席で姿はよく見えたが、音的にはPAの音と生音が変に混じってぼやけていたのが残念だった、ひたすら見ることに重点がおかれるのも無理はないが。とにかくも色々と考えさせられたのもいいことだと思えて来る。 結論をいえば、自分には自分の人生が有り、無いものねだりしても無意味であり自分のやれることをしっかりやるしかないのだ。自分なりに自分の信者さんをしっかり掴んで離さないよう精進すべきであるとの教訓が得られたような気がする。ホンマにbluesを生業にして行くのは大変なのだが、popsをやったからって成功するとは限らない、今さらマイペースを変えることもできないし。でもええ仕事したいのお!     最後にこのコンサートに招待してくれたMさんに感謝したい。

■2005/04/04 (月) 卯月 4月になった。寒さも和らいで音楽活動も活発にと行きたいところだが、そんなに急に良くなる訳でもないから1個1個確実にやるしかない。 京都に場を移してというのか帰ってというのか、はや10年にもなる。 何か一つのことを腰を据えてやるのには10年かかるということがよくわかった。どうも根気も根性も無い私は東京でもNew Yorkでもなくこうして京都にいる。私自身は京都だからといってローカルという意識は持っていない、ただ京都に住んでいるだけでどこにでも通用する音楽を生産して行こうとしているだけなのだ。しかしやはり状況の悪さ、つまりビジネス、製作環境、人材など非常に厳しいのは否めない。厳しいのにはなれているつもりだがやはり、そう云った現実に直面するとなかなか明るい展望と未来が手放しで楽しみという気持ちにはなれない。 しかし京都に住むことを選んだのは自分なのである、文句は言えない。厳しいながらも10年やってきたことで少しは楽しみな材料もいくつかはある。 バンド活動もまあまあやれてるし若い人材も育っているし、重要な要素である音楽をやるモチベ-ションは落ちていない、これが一番なのだ。 やる気と想像力(創造力もいいが)がなくなったら終わりだ。知り合いでは多くの人が成功してたり名声を手にしている、正直うらやましい、しかし私は努力が足りなかったこと、そういうものを必死でもとめなかったことが、富も名声も今だに得ていない理由だろう。羨望は刺激としてやる気に転換したい。 これからどんな未来が待っているのか想像もつかないが、ビジネスの好転をねがうばかりだ。関西での活動はこれからが本格的になってくるのである。 京都で学び、大阪で働き、神戸に住むというのが関西では理想という、ならば10年後には神戸に住むか!

■2005/05/11 (水) またまた月記に なってしまっている。今日、高校で親しかった同級生死すとの電話があってショックを受けている。54歳だ、某有名TV局でもともと有ったパワフルな勢いと行動力を持ってかなりなポストまで登りつめたらしく社葬だったというから相当な出世である。肝臓ガンだったらしく最期にはあちこちに転移していたとのことである。もう20年以上前になろうか次郎吉に来たことがあった。それ以来会っていない。TV局勤めとなると半端な忙しさではないらしい、同窓会にも殆ど出席しなかった。スポーツは万能で群を抜いていた、ソフトボールをやると強力なスイングでいつもライナーで球は凄いスピードで飛んでいきホームランだった。目立つ男だった。勉強もよくした、1年浪人で同志社へ入った、つまり私の1年後輩ということになる。この時の入試の事で私は彼に申し訳無いことをした、そうだ思い出した、私のたった三畳の部屋へ泊まって同志社へ試験を受けに行ったのだ。確か3つの学部を受けたのでその狭い部屋に2.3泊したのだ。そして合否は彼が送ってきたはがきに書いてある受験番号を私が学校まで行って確かめ連絡するという手筈だった。後日発表の日、合否を確かめに行った、最初に受けた学部の発表である、はがきに書いてある番号と照らし合わせて合格番号掲示板を見ると、あった!やった、合格だ、直ぐに電話連絡してそれを伝えた。彼はその場で大喜びはしなかった、とにかく安堵していたように思えた、喜びはもっとあとになってじわっとくるのだろう。厳しかった受験戦争に勝てたことでほっとしたのだろう。ところが事件はその夜か次の日かに起こった。合格が確認出来ないという、つまり合格していないのではないかとの連絡が入った、そんなバカなと思いもう一度確認のためハガキを見た、「あっ!4と9が紛らわしい、これはひょっとして」と思っても遅かった、4か9かわかりずらく書く癖があったのだ。結果、落ちた。そして次の日も、ここの辺の心境察しできるでしょ?私も苦しい、そしてやっと3日目、何度も確認した、有った今度こそ番号が!そして彼は同志社に来たのだが、わたしはドロップアウトしてその後会った記憶が殆ど無い。TV局での仕事、出世は学閥との戦いだという、大牟田出身で関西の大学を出てそこまでの地位にまでいけたというのは並大抵ではなかっただろう。もう一度会いたかったな!残念だが今は冥福を祈るしかない。

■2005/07/12 (火) 隔月記! 遂に2ヶ月の沈黙を破るときが来た。この日記を読んでいる数すくないで有ろうコアーな方何人かからも日記はどうなってるのかという御指摘がありキーボードに向かうことにした。しかし是といって書くこともない、こまったものだ。 この2ヶ月は東京、米子、舞鶴へ行って来た、東京では駅前のホテルに3泊も滞在したが若い頃はうきうきした街も今では外へ出ただけでも疲れる。history of bluesというconcertのために集まったmusician達も殆ど引きこもり状態だったというのが笑えた。まあしかし時々東京へ演奏しに行くのは楽しい、京都ばかりにいるのも退屈だし。米子では温泉にも入れていい旅の気分を味わえた。お店に「carrie lee」と名付けるほどオーナーのk氏はblues好きである。料理の美味しいレストランでのライブはよかった。 次の日は舞鶴へ向かい3年目となるblues meetingというconcertに参加した。 こちらはf氏という静岡県生まれのハーモニカを吹くやはりblues命の男が頑張って未知の地で3回目のconcertを開催したのだから大変なことだ。 n.yに在住するblues guitaristのh氏の話ではusaのblues事情は大変厳しいということだ、日本とは比べることは難しいがこうしてあちこちに多くはないにしてもbluesを愛してやまない人達がいるのは心強い。 6/24には富士市にも行って来た、あいにく富士山は見えなかったがハウスでの演奏は盛り上がってよかった。全く貴重な存在のi氏による所が大きい、河口湖の住んでた時は富士市まで車で行き新富士駅の近くの駐車場に車を預けてツアーによく行ったもんだった、懐かしかった。 usaではbluesのclubがめっきり少なくなってきたという、若者のblues離れも著しいという。まあこれは時代の流れからして仕方のないことだろうが日本ではbluesひとつ根付いて無いのだからblues離れというのはあてはまらないかもしれない。hiphop全盛の現在において、その影響力からみても日本でも表面的であってもやはりhiphopなのだ。多くの若者が不良みたいな格好をしている、もっともわたしもそれは云える立場ではない、私もhiphopは好きである。 現在試行錯誤中である、hiphopの要素とbluesの要素がうまくmixされたらかっこいいかなあと思う。最近はnetでhiphopの音源をよく買う、アホみたいなつまらんのも多いがなかなかアイデアの豊富なかっこいいのが有り、なるほどと感心してしまう。これからの課題というか楽しみにしたい。

■2005/08/02 (火) 東京にて 先月末から東京にいる。昨日は苗場でFUJI ROCK FESに出演、今回の一番の目的を果たした。苗場は新潟県だ、関越道で東京から現場まで三時間ほどかかった。遠い!高速を下りてからずいぶん距離がある、要するにスキー場なのだ。 午前中に着いたがもう随分人が多い、増える一方だ、あちこちテントが張ってあり数日滞在してる人も多いのがわかる。見る見るうちに人の山、楽屋のあるホテルから会場まで車でも五分以上かかる、歩くと大変だ。途中いくつも会場がありそれぞれ人だかりが出来ているのを横目に会場のオレンジコートに向かう、なるほど大きな規模のROCK FESである。 私なんぞはどうしてもウッドストックを思い出すがあんな雰囲気ではなくよく管理がされ隅々に行き届いていている。 前日は雨が降って地面がぬかるんでいる、ウッドストックでは雨で逆に盛り上がっていたがどうだったのだろう。 WEST ROAD B.Bは午後一時半から演奏した。音響も悪くなかったしまずまずの出来だった。 次の押尾コータローの最初の方だけ聞いて会場を去る事にした、遅い時間になるほど車は混み合い身動きがとれなくなると聞いたので。帰りに食べたそばはうまかった。

■2005/08/16 (火) 盆 田舎に帰ることも少なくなった、墓参りも出来ず不出来な息子をお許し下さい、と毎年思うのである。正確には田舎はない、兄の家族がいるだけで、両親はいないので帰省にはならないだろう。 今日は五山送り火だったがもちろん見ていない、永く京都人をやってるとよほどでない限り祇園祭や送り火を見に出ることはしない、あの人込みが恐いのだ。 テレビでは終戦に関する番組が多い、若い人の「もうわかった、いいよもう戦争番組は」という声を聞いた。確かにそうである、戦争番組なんて重苦しいし無くなってしまえばそれに越したことはない、ただやはり戦争については知っておいてほしいと思う。思い起こせば私が小学生の頃週刊少年マガジンなんかの表紙や中のグラビアは戦艦大和などのリアルな、小松崎茂という人の描いた絵がよく載っていた。後にアース、ウインド&ファイアーのジャケットを描いた長岡秀星も戦記画出身だ。 今は「昭和二十年」という本を読み始めた、昭和二十年の元旦から一日ずつを色んな角度からドキュメントしているのが面白い。しかし分厚くて長い、根気が続くかな。 最近はこれから向かう老後について考えさせられるが何の対策も立てていない自分が不安である。いつまでもギターを弾いてやっていけるとも思えないが他に出来ることもない、迷いながら生きていくのが人生か。

■2005/08/31 (水) 夏休み最後の日 今更夏休みもないだろうが8月31日というのはどうも子供の時の感覚が抜け切らず夏は8/31で終わりなのだとどこかで思ってしまう。今年の夏はまあまあ充実していた。フジロック、日間賀島、合宿の三件の旅は楽しめた。 それぞれ思い出に残るが合宿はまた格別の面白さだった、若い(50代もいるが)世代のギターに対する情熱、普段見られない交流、人間観察と興味深かった。 合宿アンコールの声が多かった。

■2005/09/10 (土) たまには MUSICIANのページの日記などを読んでるとかなり真剣に音楽的なことを書きしたためているのが見られる。そりゃ当たり前だろう、音楽家なのだから。ところが自分のを見るとそういう事柄についてかいてるのが非常にとは言わないまでも少ないなと思ってしまう。 大体ニュースとか新聞なら社会欄とか国際欄とかが好きで本はやはりドキュメントタイプを好む、小説は殆ど読まない。何故かはわからない、あとはクイズの本とかコミック(かなりマニアックなのが多い....安部慎一..なんと彼は小学、中学一年の時の同級生なのだ..知る人ぞ知る..私とそのへんが似ているかも知れない...漫画家である)が好きだ。偏ってますな。 ドキユメンタリーで気に入ってるのは「殺人全書」、これは面白い、過去に起きた凶悪殺人事件を詳細に犯人のことも書いている。例えば昭和○年に起きた○○バラバラ殺人事件、その犯行の様子が絵に浮かぶように、またその動機などもくわしく調べてある。めちゃリアルなのだ、ホラーは嫌いだがサスペンスは好きである。読んでても恐く無い、真実な事柄だけにぐいぐい引きこまれて行く。実に分厚い本である、ジロキチの近くの高円寺文庫センターならば入手可能かも知れない。 たまには音楽のことでも語ろうかと思っていたのにまた横道へそれてしまった。でも本の事も、この自分の偏った趣向を知ってもらうためお薦めを紹介しょうかと思う、そのうちに。 音楽はBLUESばかりを聞いている訳ではない、黒人音楽が好きなのだ!だからjazz,blues,soul,hiphop,african,gospelなど多伎に及ぶ。もちろん聞くのはギターにこだわらない。 私の好きなアルバムなど小出しに紹介して行こうと思う。

■2005/09/12 (月) 選挙 久しぶりに投票した。どの政党でも誰がなっても同じやないか、とか常々思っているが今回は行っとこかてな気になった。投票所にいくと小選挙区と比例代表とに別れている。何だこの比例とは訳分からない非礼な言葉じゃ。それに輪をかけて分からないのが国民審査?こいつには裁判官なってほしくない人を次の6人の中から選べみたいなことだ、そこには6人の知らない名前が書いてある。音楽以外何も分からん私でなくてもこれは?????ではないか。分からないことが多すぎる、自分はこの年になっても未だに日本社会に適応できないのかと改めて実感した次第である。 ゲイトマウス・ブラウンが亡くなった、巨星墜つ、である。カトリーナにより自宅は全壊、癌で闘病生活を送っていたらしく、全く悲劇的な最期といえる。あのようなBLUESMANはもうでて来ないだろう。独創性、味、ノリ、どれをとっても超一流の歴史的BLUESMANだ。冥福をお祈りする。 マンガが好きだ、かなり偏っているが....知られてる所では中島徹(同名のピアニストがいるが)「玄人の独り言」(プロのひとりごと)、これはコミック誌に連載されていたと思うが笑える。以上。

■2005/10/28 (金) 久しぶりでんな またまた日記はどこかいってしまった。ほんまに書く習慣というのは私にはなかなか身につきません。これでも小学生の時は学校代表で作文発表会に出たのだが、書くのが嫌いなわけではないがやはり続かないのだ。 さて10/19~24までライブ連チャンだった。10/19 MOJO 10/20.21東京 10/22 都雅都雅 京都 10/23.24 朝霧静岡、富士吉田 という無茶苦茶なスケジュールになってしまい東と西を行ったり来たりしていた。 10/16には高知というのもあった。しかし実に濃い1週間だった。10/20.ルースターはコテツ、岡、照夫ちゃんというblues色の強い内容、10/21はblues alley でジョニー吉長、峰厚介という異色の取り合わせ。 そして10/22は京都都雅都雅でカトリーナ救済ライブ、これは沢山の人が参加して大いに盛り上がった。最近では一番のイベントだろう、関西にはこういう機会がもっと増えるべきだなと思う。 10/23.朝霧高原のカフェアグリでのライブ、Soul Mateに久しぶりのロミー・木下氏を加えて楽しい夜になった。4時ころに着いたが快晴で富士山が圧倒的に美しく感動!やはり富士は日本一の山だ。 ピック・アップを交換したシェクターもよく鳴ってくれる、今後ますます楽しみなギターである。もちろんジョー・バーデンも活躍するだろう。 10/24 富士吉田は85~88頃住んでいた河口湖町の隣町だ、もう懐かしくてたまらなかった。よく通った道や行った店など記憶が蘇る、勿論昼は名物のうどんを食べた、けしからんうまい!関西よりうまいのだ。ライブやるのは Jazz in now といういいスピーカーを据えた永年しっかり音の染み付いたいい店だ、音楽もマスターのいい音を知ってるのがわかる本格派。いいお客さんで埋まって盛り上がった。 帰りの10/25、しっかりうどんを食った、忍野の渡辺うどんという店で人気がある、11時から2時ころまでしかやってない。  つかれたが充実した1週間だった。

■2005/11/21 (月) 殿中でござる! 月記だっ! 今月はじめにギックリ腰になってエライ目にあった。初めて整体院へ行ったがなかなかに上手い先生でなんとなく体、姿勢が正常になったような気がする。 前にギックリやった時に行っておけばよかったものを、そのままにしておいたので関節がずれてたらしくよくない状態だったとのこと。反省!ギター弾くのもままならぬようなことになっては人生終わってしまうからな。 最近は何故か「忠臣蔵」のDVDばかり、それも古いやつ、片岡千恵蔵や歌右門、若き橋蔵や錦ノ介なんかが出てくるビンテージ東映のがいい。 まさにオッサン好みだが仕方ない。子供の時に親に連れられ見に行ったものだが、懐かしさが半分そして役者の演技や豪華なキャストはやはり面白い。 今ではどうか知らないが30年前までは日本で最も有名かつ長年伝えられてきた話だろう。 南米の作家の話で「日本で一番有名なストーリー忠臣蔵は凄すぎるというか我々には理解を超えている、上司のために死ねる人間がどこにいようか!西洋ではキリスト以外そんな人間はいないだろう」というようなことを書いてるのを読んだことがある。なるほど自分もそう思うが忠臣蔵の話は脚色、尾鰭は付いてるだろうが実際この日本の元禄時代に起こった実話である。しかし映画としてを見るとやっぱり泣けてきて感動するのは私だけだろうか? 今日は「ミリオンダラー・ベイビー」を見ている。 ええわい!この映画。

■2005/12/04 (日) いやになる あーあ、やっとギックリ腰が復調したかと思えばこんどは腹痛を伴う風邪ときた。俺はこんなに体が弱かったのか?確かに小さいころは何かとお袋に連れられて病院に行ったのを思い出す。 しかし今はもう50代、うーん運動不足による体力低下か、はたまた自己管理の落ち度なのか、単に年のせいなのかはわからんが体力低下に自信がなくなってくる。運動ジムていうガラでもないし何かやらないとヤバいかな。 最近は忠臣蔵・・・そういえば来たる12/14は討ち入りの日、地元山科では義士祭なるものがある、行って見ようかな・・・以来時代劇に凝っている、と云ってもNHKの大河ドラマのDVD版だがかなり前に放映された石坂浩二主演の元禄太平記・総集編はあっという間に見てしまった。かなりよかった、結局内容は忠臣蔵なのだが豪華キャストにテンポのよい流れは楽しめた。体調不良で外出もままならぬ今宵は「毛利元就」で過ごすしかない。

■2005/12/07 (水) 時代劇  マイブームの時代劇鑑賞が続いている。このところはNHKの大河ドラマだが総集編・・・年間50本を超えるものを一本90~120分のDVD3本位にまとめてある・・をみていたが、今見ている<毛利元就>は短縮版でなく放送されたそのままの一回45分×4の180分が一枚のDVDである、今第6巻であるから24話まで来ている。全部見ようとおもえば後7枚は行くだろう、時間にすると180×7で1260分ということは20時間を超えてしまう。 しかし面白い、見出すとやめられなくなる。俳優、演出、脚本などが優れているのだろう、これほどの長編を1話ごとに練り上げ飽きの来ない展開にするのはとても難しいはずだ、独眼流正宗は三本の総集編で見たが元就の方が自分には遙かに面白い。 12月上旬はヒマなのでそれをいいことに見まくっているのである、しかしくだらないことかも知れないが1500年代、当然車も電氣もなにもない時代、移動だけでも大変だったろうな、しかも戦国時代、いつどこで襲われてもおかしくない命がけの毎日は緊張感の連続やったと思う。 しかしタイムマシーンが有ったらちょいと垣間見たいものではある、実際の人物はどんなだったのかとか、松坂慶子の演じる杉の方はどんな顔をしていたのか、食い物はどんな味がしたのかとか興味は尽きない。 今後は見る予定の作品がどっと控えている、正月はヒマがつぶせそうだ。

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