塩次伸二の徒然日記
(2004年3月~2008年6月)

PCI Online での連載コラム
(2004年10月~2008年8月)

PCIOnline
(2007年6月
LAでのインタビューとライブ)

Welcome to Shinji Shiotsugu On Line


■2006/01/27 (金) ・・・あけまして・・・・・?ウ や、やばい。またまた月記になってしまった。 今年はどんな年になるやら、期待と不安が半々というところか。 どちらかというと不安のほうが大きい、老後なんか心配でない、今を精一杯生きればいいのだ、というのは20年前までの話だ。 しかしだからといって何か行動を起こしているのかと云うと精々が「がっちりてごろで・・・保険」などの資料を取り寄せて気休めをしているにすぎない。この保険だっていざというとき本当におりるのか確証はない、厚生年金には入ってない、貯金はない、財産はない、ないないづくしの人生だな。 結局、何も変わっていないということに気付く。 近頃、知ってる音楽家の死や循環器系の病で倒れ復帰が難しいとか愕然とするニュースが耳に入って来る。全く他人ごととは思えない。 こうなると死に場所、死際が問題だと思えて来る。死んでしまったらその時点で終わりでどうにかなるかもしれないができるだけ迷惑はかけたくない。 「葉隠」という江戸時代の有名な書物がある「武士道とは死ぬ事と見つけたり」だったと思うがただ死ねばよいというのでなくいつでも死ねるように日々しっかり生きろという意味らしい、読んでみたい書ではある。 やはり音楽家はいつでも死ねる覚悟が必要ということか、ましてわたしみたいに循環器系に欠点のある人間はいつ襲ってくるかわからない。 どうも新年だと云うのにシリアスな話になったかも知れん。 昨日のニュースで渋谷○○という57のおっさんがなんと11人もの女達と暮らしていた、しかも全員と結婚、離婚をくり返し重婚をさけ法をすり抜けていたというから驚きだ。一緒に住めと云ったが断られたので脅迫したかどで逮捕されたが、本人の言い分が面白い、「夢で俺はもてると自分に言い聞かせたら女が集まって来た」。 女達は50代から20代で圧倒的に若いのがおおいそうな、この事件、脅迫はいただけないがうらやましいと思われた殿方も多いのではなかろうか。 まさかケニヤでもあるまいし一夫多妻をこの日本でしかも女達は納得しているという状況、これは笑うしかないなと思った。 耐震偽装とかライブドア-とか薄っぺらい日本が露呈していて国会では平気で嘘をつき何も根本から変わる事はない金まみれの国。 こりゃいよいよ日本脱出のシナリオとなるか。

■2006/02/01 (水) 世の中どうなっとるんじゃい! 「ふざけやがって、ふざけやがってこの野郎!泣けてく~る~。」とは確か植木等のヒット曲にあったが、最近は好きなテレビをつけると性悪説こそ真実だとも言わんげなやれ耐震強度偽装、短かったが見事に自民党上層部まで巻き込んで大騒ぎのライブドアー、またまたばれた防衛庁・・の談合・・蜜に群がる天下り、事前にチェックもせずに何がそんなに忙しいのか?BSEの責任者。 これが日本なのか?ろくなことなどありゃしない、なんで日本の主導的立場にあるものがこれほど無知で間抜けで悪人なのか?笑えてくる。 だいたい昔の映画みても主役の英雄が子分の多少いる超悪役・だいたい一人に決まっている・をやっつけるのが当たり前で、善玉に成るべき者の悪者%がこうも高くては普通の人々はやられっぱなしではないか!こんなウソ、騙し、悪意のみちみちする世間で何が文化なんじゃろうな、まともなもんは生まれない、まさに文化を流産してるような状態だな。 わたしのような日本中で千人くらいしかCDを買ってくれないギター弾きにはつらい世である。 先日あるシンガーに「伸ちゃん、日本におってもラチがあかんやろ?」と云われた。まさに急所を疲れた、常々そうは思ってはいたが、まあ日本も悪くないやろと自分に言い聞かせてきていたところへズシンと響く言葉ではあった。 べつに世間のせいにさらさらする気はない、今の自分のまわりをみてもそれなりに恵まれてるなと思う。 しかし何か不安と不満がどこかに燻っているのだ。             ジャズピアニストの市川修氏が亡くなった、まったく早い死である。彼の奔放で反逆児的生き方には共感できる部分があった。冥福を祈りたい。

■2006/02/04 (土) ・・・・ 今日は朝から永眠したjazzmanの市川修氏の葬儀に参列した。キリスト教式のもので音楽葬だった。 沢山の人が参列しお別れの前にはセッシヨンとなり多くの音楽家が演奏した。 棺が運ばれる時にはブラスバンドを先頭に多くの人が棺をかついだ。 演奏と手拍子で担がれた棺が高く持ち上げられ何度も揺らされまるで踊ってるようなその光景は深く心に刻まれるだろう。 永く一線で活動して来た市川氏の人望がうかがえた。 共演できなくなって残念だ、冥福をお祈りしたい。 このことで自分も色々考えさせられた、この間から一つの課題である「死」、しかし何もわからない。今の時点では死んでみないとわからないというばかみたいな答えしか出ない。 「葉隠」「武士道」吉田松陰の書等、先哲者の書を読んで糧としたいと思う、必ずや何かのヒントを得られるはずである。 この「死」というテーマは今の自分にとって暗いとかネガテイブとか恐怖という風には感じていない、実感するような状態でないのは確かだが楽観してるわけでもない、いつ訪れるかわからないと云う事が若い時より確実だということだ。 最近作のdvd「DUPLEX」を見た、面白かった。 コメデイでduplexはこの映画では二世帯住宅という意味でドリュー・バルモアの夫婦が上の階に住む強力ばあさんと対決するというもの。 最後に分ったのだが監督はDANNY DEVITOだった。 小さいはげた俳優であるがシュワルツネッガ-と共演した「ツインズ」など多くのいい作品に出ている大好きな俳優だ。 監督としてもいい映画を作るのだなあと感心した、ホンマに味の有るいい役者だ。 字幕を見ずに解れば最高なのにそれが出来ないことが悔やまれる、もっと生きた英語を学ぶべきだった。 さあ、寝るとするか。

■2006/02/08 (水) 美味三昧 7日は舞鶴で美味しい魚を食べる事ができた。 無上の幸福である。「じんべー」というお店の店主であるケイさんの造る料理は絶品だ、最高の材料を最適な調理がされて出て来る。 ・鮟鱇の肝、/でかい、そして旨い、極上のフォアグラだ。 ・鱈とマグロの造り/これも大きく捌かれている、紫蘇の葉に巻いて刺身醤油をちょいとつけて・・うまい!芽株がまたまいう。 ・烏賊の造り/透明でなんと動いている、生き造りだ、皆言葉はない。 ・烏賊焼き/子持ち烏賊、柔らかくていい香り。 ・あんこう鍋/ゼラチン質・・コラ-ゲンたっぷり、あっさりローカロリーでヘルシー、ケイさんオリジナルポン酢につけて、これがまたうまい。 ・焼きさば/こんなでかい鯖見た事ない、塩味であっさり、飯が欲しくなる。 ・雑炊/あんこう鍋で雑炊、これでばっちり決まった! ごちそうさん、魚は最高です。私なんかには特に血液サラサラな魚料理は一番です。

■2006/03/02 (木) 春はまだか・・・ おーっと月記一歩手前だ。今新宿で甘物食べている、久々の東京だ、ここ新宿辺りは歩いてて1メートル四方もスペースはない、パッと振り向くだけでバッグやギターケースが人に当たるのだ。 人口密度が高くて人々は忙しなさそうに動いている。昔よく新宿に遊びに出たのを思い出す。 京王デパート地下でクリームあんみつを食す、なんと872円もする。72円はなんなんだ?さてライブ四日間の始まりだ。

■2006/03/08 (水) バースディ・ライブ 二日に始まった関東編、あっという間に四日間が過ぎた。 とても充実した日々だったな。誕生日のルースター、プレゼントの山!来れなかった関西の人たち、誕生日を覚えてくれてた人たちからはメールでお祝いが。 バースディ・ライブはこれまでもやった。 どれも思い出に残るものだ。 今年も今まで以上に盛り上がれた。この日、自分は果報者だと思った。 ゾロ目の55歳、30年前にこの2006年の誕生日を予想できただろうか。 望むべくもない、つまり想像などできない良き30年後だと思いたい。 この世界の山谷を考えるとよくもまぁBLUES一本で(もちろん自分の中では色々やったが世間的にはそうだろう)やってこれたなと思う。 今だって崖っぷちで明日はどいなるかわからない状況だ。しかし自分にとって多くの人が祝ってくれたこと、ライブを聞きに来てくれたことこそ支えであるとつくづく思う。 これからも精進せねばと思う。

■2006/04/09 (日) 忘れた頃に やってくる私の日記だ! 何かこの辺で書いておかないとやばい、忘れられる。            ツアーなんかに出るとよく書くのだが、普段よほど起伏のない生活をしてるのか書くことがない、いややはり筆無精なのだ。それに比べて永井ホトケ氏は豆に文章を書くしまたうまい。なんでも大学は文学部だったそうな。ベースの小堀氏もLEOのH.Pによく書き込んでるし、最近は友達交友ブログみたいなのもやってるらしい。 バンドのナコミさんも、BBSではいちいちレスして文学少女だった片鱗をうかがわせる。やはりレスは大事だなと思う、最近はよくレスしてるとは思うが。 しかし日記はなかなか乗らないと書けないな。 朝起きてトーストに蜂蜜塗って食べました、ワイドショー見てるうちに眠くなり二度寝してしまいました、なんてアホみたいやしなあ。 ライブの事や音楽雑感みたいなのがいいかも知れないな。 4/2に豊岡へライブで行った、日帰りだったが片道約120KMで半分以上下道の国道しかない。 途中の景色は最高だった、日本の原風景ですがすがしい気持ちにさせてくれた。落ち着いたいい町並み、優しい人々、ライブも自然に盛り上がった。今度は泊りでツアーにしたい。 徒然なるままの音楽生活、果たしてこの先どうなるのか?何が何だかわからない。

■2006/04/10 (月) CROSSROADS このロバジョンの余りに有名といってもblues好きにしか解るまいが・・・ 十字路、交差点、岐路など言い方はあろうが人生にも例えられるなと思う今日このごろではある。 最近は若手のプレイヤー達とやることも多くなってきたが例えば「これは聞いたことがあるだろうか?」といって何か音源を渡すとする、その音源が何かというのが重要なのである。 少し前にある大学での講義に呼んで頂きメデイア論のような講義の中でBLUESを聞くということでMUDDYのROLLING STONEを聞かせた。ROLLING STONESの名前の由来ということでMUDDYだったがこのROLLIN STONE後で聞くと自分的には好きでもBLUES形式でもないし歌詞も解らないとなると意外にぼやけて捉えられたのだろう、反応はよくなかった。 果たして若い学生達はMUDDYの名前を覚えるには至らなかっただろうと思うと作戦は失敗に終わった。 次にB.B KINGを聞かせたら、まだ解りやすいということだった。 これもCROSSROADSなのだろう。 若いプレイヤーとの接点、渡して聞いた音源一つでそれに対して興味が湧くか否かでその後は大きく違う。 交差点でお互い通り過ぎればもう二度と会うこともなく違う方向へ遠のいてしまう。 ロバジョンみたいに悪魔に魂を売るまでしなくていいだろうが、そこで合流して一緒に進んで行ければと思う。 CROSSROADSは出会いが出来る希少な場所だと思う。

■2006/05/06 (土) また月記に なっちまった。 といっても何か大きな変化が無くもないがまあこんなものかって感じ一ヵ月が過ぎた。 ある占いでは私は一生葛藤しながら生きていくらしい。云われてみるとなんとなく当たっているような気がする。今までの人生の岐路で選んだ道は果たしてその道でよかったのかとか、ああしとけばうまく行ったかも知れないとか考えてしまう事がよくある。 わりとくよくよする方かもしれない。ま、しかし私だけでなくみんなそうだと思うことにする。 何が成功で何がベストなんてわからないものだ。 今朝のワイドショーで藤原正彦なる数学者の発言が印象に残った、さっそく本を買いに行った。武士道云々という話から始まるようだ。 さてデモCDが出来た、車で聞きながら帰るとしょう。

■2006/05/07 (日) 三日坊主その二日目 珍しく続けて書く。 しかしまあこの連休はひまだったな、外出しても人また人だしどこかに出かけようとも思わない。来年のG.Wは忙しくするように心がけるぞ。 最近は何故か中学、高校時代がやけになつかしく思えて1964のヒット集をnetで買ってしまった。64年といえば東京オリンピックである。中学二年だったか、テレビはモノクロだったな。 曲はoh pretty woman-Roy Orbison 太陽の彼方に-Astronauts 花はどこへ行った?-Kingston Torio 明日があるさ-Johnny Cynbal リトルホンダ-Hondels ロシアより愛を込めて-Matt Monro等々ホントに胸キュンとなってしまう。それと、イパネマの娘-AStrUD GILBERTとかDANCING IN THE StrEET-MARTHA & VANDELLASも入っている、この二曲も世界的にヒッ トしたのに驚く。 もう40年も経っている、人生やり直したい時期なのかは分からないが無性に懐かしいのだ。やはり音楽はいいなと思う、一番思い出が甦る。

■2006/05/08 (月) 三日目! 三日目に突入だ。今日はずっと雨だったな、5月の雨は結構しつこい印象がある。随分前に車で千葉まで行ったときはずーっと降りっぱなしでかなりめげてしまった。まあしかし止んでくれと叫んでもどだい無理であきらめるしかないのだが・・・ BBSの方にこの徒然を読んで初めて投稿された方がいる。 数は少ないにしても意外に読んで貰ってるのだなあとうれしい気持ちである。 私はこの日記は出来るだけ思ったことをストレートに書いて行きたいと思う。 昨日はなつかしのポップスの話だったが、今宵はもう少し詳しく書いてみよう。 *OH PRETTY WOMAN - ROY ORBISON この曲は64年のヒットらしいが、自分ではその二、三年あとのような気がしていた。それだけ長くヒット・チャートにいて頻繁にかかっていたということだろう。当時に盤を買った覚えはない、しかしそこら中でよく流れていたので記憶に留まっている。 一番印象に残っているのは高校卒業したてでパチンコしていてその時に流れたことだ、ということは69年あたりだが数年たってもリクエストの多い曲だったのだろう。 まずギターの低音のリズミックなシングルノートから入るイントロがかっこいい、DRUMSのスネア一拍打ち、これがまたいい、BASSが絡んでノリが 出来上がる、そしてコードが変わった瞬間、PRETTY WOMAN~と歌が登場する、黒人のような声ではないがよく通るうまい歌だ、察するにCOUNtrY SINGERかもしれん。 BANDと歌の一体感がいい、一番と二番の間にMERCY~と猫声で言うのがまたかっこいい。 そしてサビが来る、サビは一転メロウな展開となる・・・ そしてD.Cイントロへと導かれる、この時DRだけが残るがそれがまたクールなのだ。ホントにいかしたアレンジである、いかしたPOP ROCKである。 それまでの主流だった弦んぽ入るような大人っぽいアメリカン・ポップスやフォークぽいのとはちょっと違ってとても印象に残ったし今聞いてもやはりいい。 R.ORBISONはどうなったのであろうか?・・・・・

■2006/05/16 (火) 明日は東京 昼の癒し空間、橘にいる。相変わらず厨房ではブルースが鳴っている。 たぶん有線のBLUES CHANNELだろうがなかなかにいい曲が幅広くかかる。 少なくとも二年近く営業時間は流れている。 女将さんは大のブルース・ファンであるがしかし店員さんはどうなのだろう。そうでないとしても時々は耳に入ってくるであろう。人気のそば屋でキャパも大きい、そこでまさかのブルースが流れる、全くユニークなそば屋である。 私が通いだしてから店員さんの人事異動が見当たらない、がっちりしたチームワークなのだと見受ける。 バンドでいえばパーマネントバンドだ。メンバーチェンジをせず各自が自分の役割をこなす、見習うべきものがある。 明日から関東ツアーだ。

■2006/07/04 (火) 隔月記 あっという間に六月を通り越してしまった。言い訳すれば六月は忙しくて疲れて帰ってくると日記を書く気がしない、とでもしておこう。 さてライブの本数は多かった六月、京都では初の祇園のCANDY、久々の拾得、自分のバンド単独では初の都雅都雅、伏見のCOCOも初と初物が多かった。 これに加えて月一の嵐山・音や、MOJOと京都に限っていえばこれまでで最も多い数かも知れない。 せまい京都で月に何本もライブをやる難しさは身に染みてわかっている。 現に動員が最悪の日もあった、しかし演奏が悪いのではないし、これだけ多く機会が与えられたのはいいことだと思う。これからはうまく調整して行きたい。 前から中国地方をツアーしたいと思っていたが、その思いが叶った。しかもひと月の間に、福山、尾道、倉敷、徳山、岩国と五ヶ所も行くことができた。 今回の旅は今後につながる重要な旅だったが大きな手応えを感じた。 人と知り合い、触れ合い、食を共にする。ツアーの醍醐味がある、是非リターンしたい、特に徳山のBOOGIE HOUSEのM氏は他人とは思えない親密さを感じた。

■2006/07/07 (金) 七夕 自分は気まぐれであろうか? 今宵は書いてみよう。 超巨星を調べてみた。現在わかっている(といっても微々たるものであろうが)ものでは太陽の百倍はあろうというものらしい。でも子供の時にも本で読んだのも同じことが書いてあった。その時は太陽を中心に地球の軌道がすっぽり入るということだった。あまりの凄さにいまだに覚えている。 しかし違うサイトでは最近見つかった超巨星は太陽を基軸として木星の軌道がすっぽり入るというからこれは百倍どころではないだろう。 想像を絶するとはこのことだ。もっとも赤色巨星といって膨張していて星の年齢としてはかなり進んでいるらしい。 こんなとこで走り幅跳びでもしたらいったいどのくらい跳ぶのだろうか? 逆に小さい星で重力の大きいものでは1センチ四方の石がクレーンでも持ち上がらないというのも子供の時に知った。 面白い事にこういう事をずーっと覚えていてまれに星を見るときは想像をかき立てられる。 中学1~2年は天体少年だったかも知れない、ギター少年は3年からである。 100倍の天体望遠鏡を買ってもらいよく見たのは月だった、クレーターが鮮明に見えた、うさぎはいそうになかった。 星座を見入っていた、はくちょう座の見事な十字を見てるときに音もなく緑色に光る大きな流れ星が目の前で流れて行った、あの感動はずっと忘れないだろう。 この年になるとやたら小学~中学のころが懐かしい。

■2006/07/10 (月) 納豆の日 今日は納豆の日らしい。 710 なるほど、この数字は納豆食べよう平城京で、その制定の年だったような。 794うぐいす平安京 1192造ろう鎌倉幕府 1492(いよっ!国だ。) コロンブス、アメリカ大陸発見 これぐらいしか覚えてないな。ちよっと調べてみるかな。

■2006/07/14 (金) 東京だー のぞみでたったの二時間二十分、あっと云う間に日本の中心、東京である。 やはり人、人、人の波。 ビルの森、巨大なブラックホールのような不気味さも感じてしまう。 京都に永くいると東京は住んでいた頃の感覚は失せ、東京移住以前のイメージに映る。 都会だな、いいなあ、何でもあるなあ、いろんな人がいるなあ、また住んでみたいなあとか一瞬思う。 しかし共演のKに「住んでしまったらそうでもなくてまた前みたいに他へ行きたいってなりますよ、時々くるからいいんですよ」と言われ、妙に納得してしまった。 私には京都在住の方が合ってるのかも知れない。 ま、この五日間、せいぜい楽しむとしよう。 今日の千歳烏山のTUBO、いいお店だ、アットホームで料理がおいしい、マスターもいい感じだし。 コテツとのデュオ、楽しかった。

■2006/07/25 (火) 久々に 東京ツアーから連続ライブがやっと一区切り。 なかなか日記が書けなかった、ライブの日は書けないものだ。 ツアーから帰っても気が抜けず蓄まった疲れがどっと出る。 とするとさぞかし痩せたかと思う、ところがライブ後に食べるのでこれが痩せるどころか逆に太る原因、果ては痛風の元になる。 痛風はやっと治まったが尿酸値を下げる薬を飲まねばならない。 歯は悪いしぼろぼろじゃわい。 さてソロ・ライブをやったが面白い反面大変でもあった、ギター弾くことよりも歌、喋りに加えて器械の操作が付く。しかし自分のやりたいことはまあまあできたと思う、時々やって行きたい課題の一つができた。

■2006/07/28 (金) 夏到来 梅雨のジメジメしたのも嫌だが、クソ暑いのも困ったもんだ。 しかし薄着で済むし、冷たいものが食べ放題。 冬に比べたら段違いだ、冬は苦手だ。京都の冬は永い、明けても暮れても寒い、日照時間が短い、四季があるからいいとはいうものの冬の間は常夏の国へ行きたくなる。 28の時に行ったS.FとL.Aは気候が最高だった、からっとして年中昼はTシャツ、夜はそれにトレーナーでもあればいい。 いつか住んでやる、と云っても無理か。             タチバナで「日帰り名人」なる雑誌の取材でエキストラで写ってるかもしれない。

■2006/08/04 (金) 日間賀島 7/28~31京都-名古屋-日間賀島と続いた。 島の二日間はのんびり出来た、ホントに近場でこんなにいいところがあるとは。天気も最高だし、海の幸もふんだんにでたし、タコ、イカ、エビはなんとなく避けてしまった、理由は云うまでもない、しかしそれらを食べずに何を食らうというのか? 演奏も楽しく出来たがやはり二日間というのと、関西あたりからは来にくい、料金もそれなりに高いとマイナス要因が重なって動員がややきびしかったようだ。 とにかく今回のことで尽力下さったKさんに感謝感謝である。 いつか遊びで訪れてみたいし、Kさんにはスタッフでなく純粋にお客さんとしてライブを楽しんで欲しい。 さて明日は久しぶりに大阪ROYAL HORSEだ。 そして5.6はまた名古屋攻めだ。

■2006/08/15 (火) 終戦の日 小さいときから、何故かお盆は終戦、終戦はお盆なんだと思っていた。 朝には戦艦大和の最期にまつわる話が元乗り組み員によって語られた。 大和が傾き出してもうダメだという時、自分の上官が目の前で切腹して果てた、大和が沈んで、丸太につかまっていた先輩が「お前は若いから生きろ」と言って丸太を手渡し自分は沈んで行った・・・ 小学生のころ、月刊、週刊を問わず漫画誌なんかには戦記漫画やリアルに描かれた戦艦、戦闘機、戦車がいつも載っていた。 それがかっこいいと憧れて小松崎茂の戦記画をまねして書いたりしていた、のちにEARTH.WIND&FIREのジャケット画を手懸けた長岡秀星の緻密な戦記画も大好きだった。 そこには今日の大和の話の様な悲惨さを感じさせるものは何もなかった、ただ憧れだけがあった。他の漫画や映画もそうだった、特攻隊も勇ましく飛んで行き、敵艦目がけて突っ込んで行くところで終わりみたいな感じだった。 広島、長崎の原爆や沖縄戦、東京、大阪などの大空襲、敗戦の事実に蓋をしていたのだろうか、そういう事実を知るのは高校生になってからだった。自分から知ろうとしないかぎり広く敗戦の事実が知れ渡っていたとは思えない。 自分の親父もビルマに遠征した写真は見せてくれたが悲惨は話なしなかった。 自分が小学生のころは50年代後半から60年代の頭だ、終戦からたった10年ちよっとではないか。 親は戦争を思い出したくなかったのだろうか、はやく忘れて平和にくらしたかったのだろうか。 60年経っても戦争のことを考えずにはいられない八月十五日だ。

■2006/08/22 (火) 盆過ぎ やれやれ、まだまだ暑いというかさらにピークに向かってるのじゃないかと思える今日この頃だ。 世の中、夏は盆が何かにつけピークなのだろうか? 盆過ぎは街も人が少ないみたいだなど思ってしまう世間知らずの私は16日の五山送り火の日にライブを入れてしまったが、考えてみれば親戚が集まり先祖の供養、墓参り、会食など忙しいのである。そんな時なかなかライブなど行けないものであるというのに・・やはり世間知らずの親不孝者である。 しかし盆に田舎に帰るのは苦手である、あの人民大移動が怖いのである。 来年こそは盆、正月の帰省をと毎年思うのであるが・・・

■2006/08/23 (水) 練習 昨日のギタージム・ジュニアクラスで質問が有った「先生は普段どんな練習をされているんですか?」 ドキッ、練習らしい練習なんか全然してないなー、この年になると。いかん、いかんやはり練習は必要だ、仕方ないから若いときにはこんな練習をしていた、と茶を濁した。 確かに若い頃はよく練習したもんだ。時間もたっぷり有ったし・・いや、しかしそれ以上にやらなければならんことが山ほど有った。 体験からして、自分の練習も大事だが「聞くこと」の重要性も話した。 いい音楽をよく聞くこと、すなわち人の音をよく聞くことにつながる。 若い頃にいい音楽をたくさんしっかり聞いておくと後々絶対役に立つ、その差は歴然とする。 ネットのおかげでCDシヨップへ出かけなくてもたいていの物は手に入る。 最近また色々と買い漁ってはよく聞いている。

■2006/09/12 (火) 涼しく なってきた、また間があいた。 秋の気配である、ますます食物が豊かになり、またしても体重と格闘しなくてはならなくなる。 どうせ負けるに決まってはいるが。 30年弱ぶりにあるお店でライブをやった。 ライブの打ち合せに25年以上経って行ってみた時、変わって無さに感動した。 店に入った瞬間フラッシュバックしてしまった。 正直、ライブの話が出るまでは店に行こうという気はなかった、色んな当時の想いが詰まりすぎていて思い出したくない事まで甦ってきそうでなかなか行けなかった。 しかし変わらぬ良さがあった、内装、雰囲気、昔のままである。怖れは居心地のよさに変わった、変わればよいとされる風潮の中、頑なに自分のスタイルを押し通すブルースマンのようでもある。 京都には変わらぬ店が多いといえる。 このZAC BARAN、拾得、磔磔、KYOTO BLUENOTE 等など30年組は健在だ、素晴らしいと思う。 もっとも平安の時代から変わらぬのが京都であるから30年くらいでは話にはならないのかもしれないが。 ライブも盛り上がった、お客さんとのやりとりが楽しかったし、また是非再演したいものである。

■2006/09/15 (金) 東北 今日から東北ツアーだ。 以外にも二年ぶりくらいか、それほど久しぶりというほどではない。 演奏の次にというか、一番というか楽しみは食物だ。東北の蕎麦はうまいのだ、ネットで買った山形そばはうまかった、本場で食べるといかにうまいのか・・ しかしわんこそばは頂けない、第一ゆっくり食えないし味もいまいちはっきりうまいとは思わなかった。 あんな後ろからどんどん追加されて焦って食べてもなあ・・もっともそれが売りだから仕方ないが、一度経験したらもうええわ、てなるな、私の場合。 甘物はどうなのか?ゆべしは前に頂いて食べた事がある、味はいいがそのスタイルがなかなか関西、いや関東とさえもかなり違うなあと感じた。まあそのスタイルの違いが面白いのだが。 色々楽しみである。

■2006/09/27 (水) リズム・クリニック 昨夜はサミュエル岡本氏によるリズム・クリニックがネガポジで行われた。 もちろん演奏もしたが彼の講座も拝見した。 アメリカで勉強した知識、経験を生かし英語も堪能、ウイットに富みかつアカデミックな内容でとても興味深いものだった。 私のジムにとってもためになった。 演奏はベースに晴三のトリオ、サミュエル氏のダブルバスドラセットは時にはハードロック、スイング、ファンク、ラテン、ブルーズあらゆる音楽に対応し、グルーブとインタープレイを充分に堪能した。 自分のBLAZEと云うバンドはAVEXからアルバムを出すメジャーな活動をしている。素晴らしい才能長けたミュージシャンである。 また再演したいドラマーだ。

■2006/10/20 (金) いかん、いかん また日記の存在を忘れていた。 これまでに23000件以上もここへアクセスがあったのだと思うと申し訳ない、書かなきゃという気持ちにはなるのですがね。 さて9.10月は東北、関東のツアーがありとても印象深いものとなった。 東北はコテツと二人で4箇所、仙台、石巻、山形、福島。 どれも思い出になるライブだった、時期もよく美味しいものも食べれた。 久しぶりの東北、関西に住んでからは遠くなっていた東北、今回のコテツとのステージはかなり喜んで貰えたようだ、BANDで行きたかったが経費の事もあり二人だったが良いライブができたし地元で活動するプレイヤーとも交流できて実りがあった。来年のツアーを約束した所さえあった。 関東ツアーはBANDで行った、かなりハードな日程だった、中には風邪で不調に陥ったメンバーもいたが演奏は最後までパワー全開だった。 東京でやるのは経費の面などからも難しい所だがやはりやるべきだと思うのだ。 ツアー後に山梨で一日過ごした、快晴で富士山が素晴らしくメンバーも大満足だったようだ。 10/13には自分が主宰した「BLUES PARTY」が都雅都雅であった。企画、制作 舞台監督、司会、演奏、なぞなぞ出題、何から何までやって疲れたがおおきな充実感、今後のたたき台となるライブの方向性など指標を得ることが出来た。 2月に行こうかなと思っていたUSAはまた延びそうだ。

■2006/10/24 (火) 寝る前に なんぞ書いとこう。2月に秘かに予定していたUSA行きは、やめにした。 仕方がないが来年中に必ず行くぞ、と去年もそう思ってたな。 しかし30.40.50代になるにつれて加速度が増して一年が速く過ぎてしまう。 そしてこれでいいのか?あかんな、いやそれでいいのだ、それしかしかたないだろう、充分やないか、即刻どこか行ってしまえ・・・と残り有余のさほどない人生の選択を惑いながら日々を過ごしている。 音楽をやめずには済みそうである、しかし定年は無いが退職金もない、保障も保険も年金もない有様である。 体が資本だが、自分の体に資本力はない。 音楽をやめずに死ねたら良いだろうが、体が動かなくなってギターを弾けなくなったら何の取り柄もない故にそこで自分の人生は終わるのだ。 だから音楽をやるのだったら野垂れ死には覚悟しておかなくてはならんのだ、と若いころは思っていたが実際この年になるとそれが現実的なものに思えるのは恐ろしい。 BLUESなんかやったが故に仕事が少ないとか思いながら、BLUESやったおかげで何とか生き延びて来れたのも事実である。 若い世代は技術も力も持ち合わせて台頭してくる、殊更日本においてはベテランは用無しという風潮を感じる。 こんな状況のなかでベテランは戦って行かなければならないのである。 ベテランは体も動きが悪くなるし、気迫も薄れ、技術も伸びず、大変なのだ。 蓄積されたものを最大限に生かして対応していかなくてはならないのである。 そして大事なのは気迫である、これが無くなるとテクでは勝負しないBLUES系はそこでTHE ENDとなる、ところがやる気がなくなるような要因が極めて多い、集客だとか、ギャラの問題とか、音楽的成果が得られないとか、自分の技術のこと、楽器の運搬やメンテナンス、車に関すること、対人関係等々、なかなか思うに任せずで自己のモチベーションが低下してしまい音楽に燃えることが出来なくなり、それが取り巻く環境も崩してしまいTHE ENDになる危険性と紙一重のとこにいるのである。 まあ、これも自分の才能のなさ(商才も必要だから大変だ)のよるものだとあきらめるしかないだろうが・・・ 云えることは、そんな自分でも支えて来てくれた人たちのおかげで何とかやって来れたと云うことである、それが今もやる気を失わないでいれる源だ。 明日はどうなるのか・・来年はどうなるのか・・予測もつかない。

■2006/10/27 (金) 秋 秋とは物思いにふけてしまう傾向にあるのか、前の日記はついついぼやきが出てしまったようで、読んでてあまりいい気持ちのものではなかったであろうと思う、日記だと云うことで許していただきたい。 しかし40にして惑わずとはいうものの、50代にしてもまだまだ惑いの真っ最中である。 ネットでCDを買ってるとつい調子にのってボタン一つで買ってしまう。 それが高じてCDラックに納まりきれないようになってきた。処分しょうにもなかなか手放せないものだ、滅多に聞かない、やもすればもう一生聞かないのもあるかも知れない。 BLUES~R&B~FUNK~JAZZ~LATIN~AFRIKAN~GOSPEL~WORLD MUSIC~REGGAE ~というように世界音楽の旅となる、実に楽しい。一口にBLUESといってもTEXAS,NEW ORLEANS,CHICAGOとか細分化されてキリがなくなる。 これだけはやめられそうにない。 最近はといってもコロコロ日替わりではまるものが違うが「GOSPEL」というDVDをみて最近のGOSPELの充実ぶりというか進歩がうかがえた、前から素晴らしい音楽だとおもうが、更にGROOVYでご機嫌なサウンドを造り出す力は殊更その精神性においてはかけ離れている。 ずっと聞いて行きたい音楽だ。 そこでBLUESだが本場USAでもBLUES CLUBは減少の一途だと聞く。 STEVIE RAY VAUGHNでもりかえしつつ有ったようだが彼の死によってその夢は遠のいたようだ。 しかしUSAでは無くなることはないだろう、いつまでもROOTS MUSICとしてRESPECTされることを望みたいものである。 日本では相変わらず日陰の存在のようだ、知る人ぞ知るで、音楽を目指す若者には「その音楽はそういう音楽があるということを聞いたことがある」=BLUES音楽自体を聞いたことは無いとか、B.B KINGとFREDDY KINGの区別がつかないとか、よくわからないとか、ちょっと悲しい答えが返ってきたりするのである。 多くは望まないが少しでもBLACKな音を目指す若者には一時的にでもちゃんとBLUESを聞いてその良さを知って欲しいものだ、また聞くより演奏する方が遙かに楽しいのもBLUESであり、INTERNATIONALなPLAYERを目指すには世界との距離を縮めてくれる音楽と思うのだが・・・・・・・ 以上*******BLUESのススメ**********************************

■2006/10/31 (火) 旅は 道連れ世は情け、なんて最近は云わないだろうが、28日愛媛県大洲~香川県観音寺の旅は地元の方の暖かいもてなしに癒された、山、川、美味いもの、演奏と声援、なんかいい気分になって人生楽しかったら明日のことは考えず、今日を精一杯楽しんで酔い越しの金は持たねえ(尤酒は飲まないが)と、自分の奥底にある川筋気質が出てきてしまうのだろうか、旅はそんな気にさせてくれる。 旅がなかったら煮詰まるだろうな、旅を続けたい。

■2006/11/03 (金) 松山・尾道 いい旅して帰ってきた。またいつもの日常に戻る。 尾道では千光寺というのが山の上にある、さほど高くはないが歩いて登った、久々の運動だ。 途中に志賀直哉が住んだ家とか林芙美子関連の文学館があり寄ってみた、人柄などが偲ばれてとてもよかった。 しかしてっぺんに着いたころには足はガクガク、体はヨレヨレ、情けない。 いい眺めだった、海と山、そしてたくさんの島々、なんとすばらしい所だろう、住みたくなってしまう。 さて夢はそこそこにして現実に帰る。MOJOで定期演奏している仲田コージバンドがCDを作ることになりそのプロデュースをすることになった、久しぶりの大役だ。まだ若いバンドとベテラン歌手で構成され日本語でBLUESを歌う、さてどうなることか、一筋縄では行くまい。 今日は大阪は布施へ来た、何十年ぶりだろう。

■2006/11/04 (土) SOUND FOREST 30年以上ぶりに来た布施、なんか下町な雰囲気がいい、SOUND FORESTなるお店でのライブ、エミさんとのDUO、emisioだ。一階にスタジオが有りお店は二階、こじんまりしたいい雰囲気、音楽、モニター画像もなかなかにマニアックな好きな音と映像が流れている。 弟子のMが骨折りしてくれライブの運びとなった。@ホームな雰囲気でお客さんもたくさん来てくれて楽しいライブになった、前夜長時間に及ぶ筋肉吊りの激痛に悩まされたというエミさんも快調、やはり彼女の歌はすごい。 DUOてのは楽器側は大変なものである。ソロの時なんかパタゴニアの断崖絶壁に立たされたような時がある。 しかしながら昨夜はお客さんとも打ち解け、リラックスできてかなり自由にプレイできた。 お店のオーナーともGIGPIGなる面白い打楽器でセッションできて楽しかった、また演奏したいお店だ。 メニュー・リスト(順不同)・SUMMERTIME ・DO NOTHING ・GEORGIA ・EVERYDAY ・GEE BABY ・JAMBO BWANA・ALL OF ME ほか全14曲ほど。

■2006/11/07 (火) 日本ブルース事情 5日にゲスト出演させてもらった砂川香織ブルース・バンド、久しぶりに付き合ったギャグ、最初はちよっと戸惑ったがすぐ慣れた。大阪的というのか、ベタでも砂ヤンのキャラで持っていく、シャベクリのテンポが早く突っ込みの井上氏と砂ヤンのボケがはまると横にいても爆笑してしまう。私の場合は一人ボケ、突っ込みになるのだが、参考にさせてもらおうと思う。 砂川バンドの演奏は先ず中心となる砂川のギター、A.COLLINSを彷彿とさせるテレの鋭い高音、やもすると耳が痛くなるような音質になることが多いものだがそこはギターには精通しているだけにGOOD SOUNDを創っていた。もう30年も前からバンド仲間だが昔はALLMANをやっていた、今とはずいぶんそのスタイルは違っていたと思う。BLUESに開眼したというか自分を見つけたのだろう、なかなか砂川みたいなギター弾く男は他にいない。またバンドがいい、ベースの井上はこれまたギターと人生ともに歩んでいてドラマー(スマン、名前忘れた)とバンドの支え骨だ、サックスの村地ちゃんも旧知の仲で音、プレイに色気が満ちている。キーボードはあのジプシーブラッドの宮口ジョージだ。気持ち良いプレイしてたな。ほんまに一押しのBLUES BANDだ。やはり永く続けてきたからこそいいサウンドになるのだ、あのブルースブームから早くも30年、消滅してしまったかに見えた日本ブルースだが、サバイバルしてる奴らが確かにいる、そしてそいつらは生き延びた粘り強さ、強かさ、優しさをこよなく持ち合わせている。 福島のBLUES CRUSERもいいバンドだ。ツアーに出ると出会いが楽しみである、いつかJAP'S BLUES MEETINGなんて出来たらいいだろうな。 まだまだあちこちにBLUESをしぶとくやってる連中がいるのだ、また取り上げていきたいな。

■2006/11/11 (土) BASS 昨夜は何とBASSを担いで練習しに行った。 久しぶりにベースでライブをやる。 ベースを弾くのは楽しい、ギターとはまた一味も二味も違う。 ダイナミクス表現がギターの比ではない、それにグルーヴセッターの役割をする、これが楽しい。 要するにノリの担い手なのだ。ベースを弾いてるとギターって繊細な楽器だなと思ってしまう、ホントにポジションが違う。 それからベースを弾くのは若いプレイヤーと一緒に演奏できるからである。 ギタープレイヤーはたくさんいるので弾かせるほうに回って自分はグルーブセッターになるのはなかなか面白い。 しかし難しい、まあテクはないけどノリだー、てな感じだ。 思えばPAUL JACKSONが横で弾いてた時は火山噴火かマグニチュード8.8の地震が起きたようだった。 あの体験、体感は忘れられない。またPAULと演奏したいな。

■2006/11/22 (水) 若者 月曜に京都のAN MUSIC SCHOOLで演奏した。一応授業になるのだが私達はいつもと同じように演奏した、ただドラムの堀尾君がANの講師をしてて講義を交えての演奏だった。会場は生徒達で埋まった。 途中質疑応答コーナーがあり「衝撃をうけたブルースマンは誰ですか?」という質問があった、B.B ALBERT FREDDIEの三大KINGを挙げて知ってるかと聞くと知ってて、それぞれのCDも持っていると云う。期待してなかっただけに感心した。講師曰くJ-POPしか知らない若者が多い、CLAPTONは聞くけどFREDDIE KINGは知らないという悲しい答えが返ってくると。 人間の感性なんて年月が多少経ってもそうそうかわるとは思えない。MUDDYを聞いてかっこいいとは思わないのだろうか。まあレコード会社なんて売れなきゃ相手にしないから広まりようもないが。 あまり云うと愚痴になるからやめとくか。 しかしさっきの若者、ブルースに興味を持ってるのだったらどんどんプレイして欲しいものだ。 ブルースは聞くのもいいが演るともっとおもしろいから。

■2006/12/03 (日) 帰ってきた男 ハルさん(普段は永年の関係でハルと呼んでいる)が帰ってきた。先日はライブに飛び入りしてもらった、公式には来年からの登場になるがプレイは元気そのもの、いいギターを弾いていた。何はともあれ微妙(めでたし)だ。今昔物語で微妙をめでたしと読むのだと知った、チッとは賢くなったかな。

■2006/12/29 (金) JAMES BROWN クリスマスにJAMES BROWN死す、のNEWSが・・・・ まだ73歳だった。 残念この上ない、J.Bは私にとって指標だった。 FUNKといってもBLUESとかけ離れてるわけはないといつも思っていた。 ノリ(groove)の革新者だと思う。あそこまでノリを追求した音楽家は当時もいまでもそうはいないと感じる。 papa got a bland new bagはbluesだ、新しいbluesだ。 I got youにしてもblues formである、そこへタイトな新しいgrooveとsolidなアンサンブルが加わりbland new bluesとなる。 殆ど一発の音楽だ、sex machineが代表している、sub.domiに時折行くことによって流れにメリハリを付けている。 MILES DAVISもJBの影響を認めている。「on the corner」を聞くとわかる。 アフリカ的な感じもする。 一見豪華なsoundに聞こえるがその音楽の骨格は半分以上guitar.bass.drumsで構成されている、つまりその3rythmが主体でkbd.hornはあくまで装飾的な気がする。 とにかくシンプルにして黒人のJBにしか出来ないGROOVE musicだ。 そして聞くと元気が出る、SOUL RESCUE なのだ。 HOMESICK JAMESも亡くなった。 RUTH BROWNもROBERT JR LOCKWOODも。

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